HOME | 我的北京日记(漫游随想录)2017春


 

2017年4月某日、五道营胡同で物乞いをする女性。中国では偽乞食が多く、社会問題になっている。

2017年、柳絮舞う北京へ

 
 

 

1日目

 
今回もH〇Sのフリーツアーにした。去年あたりから爆買中国人が激減したせいか、羽田発の格安フリーツアーが出ていたので、それで行くことにした。
 


2017年4月某日、5:13仙川発の新宿行きに乗り、品川で京急線に乗り換えて羽田空港まで行った。幸いにも電車は遅延することなく、予定通り、6:28、羽田空港駅に到着した。 
 

早朝ゆえか、空港内は閑散としていた。最近、羽田空港には「ANA Baggage Drop」という無人の手荷物預けマシンが設置されたが、今回はJALだったから、通常とおり、有人カウンターで荷物を預けた。有人でも空いていたから、チェックインはアッと言う間に終わった。羽田空港の職員は、どうもANAよりもJALの方がちゃんとしているように思えることが多い。以前、ANAの女性職員でヒステリックな輩に遭って以来、ANAにはあまり良い印象がない。
 
 
 

チェックインと保安検査を終えたあとは、カフェで休憩することにした。搭乗までは2時間ほど余裕があった。離陸して30分もすれば機内食が出るはずだと思い、スープを飲みながら、しばし過ごすことにした。私は野菜スープを、こびとはポタージュを注文した。残念ながらあまり美味くなかった。
 
 

カフェでは70代と思しきオジジが忙しく清掃をしており、あまり長居できるような雰囲気ではなかった。しかたがないので、出発ゲート付近へ移動して休憩することにした。北京空港では数年前からベンチ付近でのスマホ充電が可能であったが、日本の空港でも最近になって、やっと充電可能な場所が増えた。
 
 
 

時間通りに搭乗が開始された。特にトラブルもなく、飛行機は定刻の9:15に離陸した。今回のツアーは2泊3日で、1人あたり約35,000円だった。ホテルはいつもの北京旅居华侨饭店で、機体はJALの中型機、ボーイング788(787-8)だった。今回のツアーは、これまでの中では最も良い条件だった。788だと、エコノミークラスであっても、北京までのフライトであれば比較的快適に過ごせる。機体が大きいから揺れも少ないし、機内設備が新しいから、映画でも見ていれば、あっという間に到着する感じだ。

去年も運よく788に乗れたけれど、もしかしたら今後は小型機の便数を減らして、中型機で客を多めに運ぶという傾向になるのかもしれないな、と思った。しかも羽田発となれば、早朝の便でも都内からアクセスしやすくなるから、時間と労力が大幅に軽減されて、まことによろしい。これまで、関東からの格安ツアーと言えば、必ず飛行機は成田発だったけれど、とにかく成田は遠くて、本当に面倒だった。ちなみに、JALの国際線は、エコノミークラスでもスーツケースを2個まで預けられる、という点はメリットとしては非常に大きい。北京へ数日行くのであれば、私がいつも使うJTBのツアーが、最もコストパフォーマンスに優れているのではないかと思う。
 
 

機内食はまぁまぁだった。北海道フェアだとかで、また六花亭の菓子がついていた。確か前回はマルセイバターサンドだった。斜め前に座っていた中国人姑娘が、凄まじい勢いで機内食を平らげており、私が食べ始めて間もなく、完食していた。
 
 
 

特に大きな揺れもなく、12:45、ほぼ定時で北京空港に到着した。到着ゲートからエアチャイナの機体が見えたので、何となく写真を撮っておいた。外は予報通り曇りだったが、雨は降っていないようで安心した。出発に向けて、作業員が忙しく働いているのが見えた。
 
 

我々の前を双子らしき少年が歩いていた。親が同伴していないようで、女の空港職員に連れられていた。きっと日本生まれの中国人だろうな、と思った。  
 
 
 

北京空港へ到着して、最初に通過せねばならぬのは検疫だ。通過時に体温が異常に高い人は職員に捕まるのだろうが、幸い一度もそういう目に遭ったことはない。比較的空いていてすぐに通過できた。 今回は荷物が出てくるのが早かった。ANAで北京入りした時、荷物が出てくるまで40分くらい待たされたことがあったが、今のところ、何故かJALで待たされたことはない。
 

まだ9時だというのに、出口で待ち構えている人が沢山いた。とにかく中国は人が多い。とりあえず、すぐに空港線に乗り、ホテルへ向かうことにした。 
 

空港線乗り場で、一卡通に200元ずつチャージした。白人がチラホラいた。すぐに空港線に乗ることができた。   
 

電車の窓から外を見やると、オッサン3人が、空港近くの高速道路上に座っているのが見えた。どうやら封鎖された区域に入っているから車の通行はないようだったが、一体どうやって入ったのだろうか、と考えた。日本の高速道路では通行者や徘徊者がいたらすぐに通報されたりするが、中国では隣国人が国境付近の高速道路に徒歩で入って、手配しておいた車へ乗りこみ、密入国することがよくあるらしい。
 

东直门駅に着くと、こびとがトイレへ行きたいと言い出した。ついでに私も行っておくことにした。
  

トイレの入口には、それぞれ赤と青の、暖簾と思しき布が掛けられていた。なるほど、確かにこれなら男女を見分けやすいと思ったが、出入りする時に布を触るのが不衛生な感じがして、少し不快だった。
 

地上へ出ると、相変わらず人が多くて、ゴミゴミしていた。しかし、終電のあとのような怪しさは無かった。深夜は白タクのジジイや、その他の不審者がうろついているから、やはり昼間に北京入りするのが安心だな、と思った。
 

とりあえず、ホテルへ向かうことにした。駅前の高架橋を渡った。 
 

スマホにつないだイヤホンで音楽を聴きながら、ノーヘルでバイクを運転している女がいた。大半の刑罰が日本よりも遥かに厳しい中国においても、こういう事に関しては日本と同様にユルいらしい。日本でトライクがノーヘルで合法だというアホさと同様、中国ではバイク並に加速する電動自転車でも、法律上はあくまで自転車と同じだから、ヘルメットを被らなくても違法ではないわけだが、当然ながらトライクと同様クラッシュしたら運転手は宙に舞うだろう。こんなことで容易に事故死することは想像に容易いだろうと思うが、役人はそうでもないらしい。

そういえば、数年前に上海で違法に路駐していた車から出てきた男を避けようとして、転倒した電動自転車にタンデムしていた子供が路線バスに轢かれて即死した事故があった。結局、路線バスの運転手と、路駐していた輩数人と、電動自転車を運転していたBBAが罰せられたらしい。ルールを守れぬ輩や、運転マナーが酷かった輩すべてが直接の事故原因であったが、上海には車を安全に駐停車できる公共スペースがほとんどないことも問題であるとされていた。

確かに東京にも世界最凶の高速道路と呼ばれている首都高があるわけだけれども、きっと首都高でどんな事故が起きても、安全な道路を造らなかった首都高道路公団や国土交通省、官僚の罪は問われないのであろうと思う。日本も運転中に携帯電話をいじる輩は、某国のように即刻極刑に処したり、常習的に違法な路駐をする輩は車両ごと戦車や装甲車で破壊してしまうことも必要なのかもしれない。とにかく日本は刑罰が甘すぎるから、出所した輩がまた同じ犯罪を繰り返すことなど珍しくない。マトモな人間であれば、死刑になることを恐れて運転中に携帯電話をいじらないだろうし、愛車がペシャンコ鉄屑同然になるのが嫌なら違法駐車などしようと思わないだろう。しかし、最近は常識が通じない逆切れDQNの遺伝子が増加しているようだから、刑罰の厳重化を以てしても、世界が平和になるのはまだまだ先のことかもしれない。 
 
 

高架橋を渡り終えると、东直门内大街という大通りに入る。このあたりから、北京で有名な四川料理が軒を連ねる簋街(guijie)と呼ばれるグルメストリートになる。东直门内大街は、どうやら大規模な舗装工事が始まっているようだった。

最近の北京では、外卖(宅配飯)が流行っているらしく、至る所で青やら赤い制服を着た配達員が、道に迷いながらバイクで走り回っている姿を見かける。青色の制服で走っているのは外卖最大手の饿了么という会社の従業員だ。日本では宅配飯は自前の社員やアルバイターに担当させているが、中国では宅配飯専門の会社があって、飲食店から請け負って配達している。最近は手が空いているタクシーなどにも代行させているそうで、宅配業界はかなり人気があるらしい。
 
元々は冬場の大気汚染で紅色警報が出るようになって、北京市が外出禁止令を出すようになったことが外卖流行のキッカケらしい。スマホで簡単に注文・支払いが可能で、外へ出て危険な外気にさらされる必要がなくなるのだから、至って都合が良いのであろう。 しかも、中国では宅配の料金が安く、飲食店によっては何元以上買うと送料無料なんてのが沢山あるから、利用者が多いのだ。

そういえば、北京市内を走る配送バイクのマッドフラップには、大抵何らかの店の広告が貼られている。日本でも公共バスや車の車体に広告をラッピングすることはよくあるが、バイクの僅かなスペースさえも広告として有効活用しようという発想はいかにも中国らしい。
 

北京はとにかく道が広くて歩きやすい。舗装工事をしている関係で、歩道に工事関係車両や資材が置かれていたため、いつもよりは歩きにくかったけれども、大通りの歩道の幅なんかは日本の車道なみに広いから、人が多く歩いていてもあまりストレスを感じなかった。

毎日のように、クソ狭い吉祥寺通りを、車道を走るべきアホ自転車を避けながら歩かねばならぬストレスと考えると、北京で過ごした方が精神衛生上よろしいかと思うが、北京は東京よりも街が汚いから、やはり実際に住むとなると日本の方が良い。

中国では未だに、安い賃貸だと便器の穴の上にシャワーが設置されている物件が少なくない。月5000元(約80000円)以上するワンルームの高級賃貸においても、ホテルのような仕切られたシャワールームやバスタブなんて稀で、便器の横に排水溝があり、無造作にシャワーが設置されているのが普通だ。例えるならアメリカ式のバスルームで、バスタブがない感じだ。

上海ほどでは無いにしても、最近は北京でも不動産価格が暴騰していて、外国人留学生をカモにしている五道口あたりでは、バス・トイレ・キッチン共用のワンルーム賃貸で、月6000元(約96000円)以上の物件ばかりだから、不動産価格に関しては日本よりも暴利を貪っている感じだ。なんせ中国では1ヶ月で1000元(約16000円)しか稼げないとか、頑張っても数千元しか稼げないなんてのはザラらしいから、家賃に月5000元も払うのが、どれだけ異常かがわかる。
 

东直门内大街の歩道はこのくらい広い。北京市内では最も広い歩道だろうと思う。点字ブロックも入れ替えられていて、かなり歩きやすくなりそうだった。とりあえず、いつもの如く、セブ〇イレブンへ行くことにした。ちなみに、中国語でセブン〇レブンのことは単純に711(qishiyiyi)と言うらしい。
 

スマホはアイフォンとHUAWEIを持ってきたが、充電ケーブルは北京で買った方が安いから、何本か買いためておくことにした。マイクロUSBとタイプC、ライトニングの三叉ケーブルが、1mで29元(約465円)だった。3箱買っておいた。三叉ケーブルは日本ではあまり売られていないが、かなり便利で使いやすい。
 

李保健(リポビタンD)は8.5元(約136円)、红牛(レッドブル)は6.8元(約109円)で、何故かレッドブルの方が安かった。北京ではミネラルウォーターが1本2元(約32円)だから、リポビタンDはちょっと高めだ。充電ケーブルとミネラルウォーターを数本買って、外へ出た。中国では基本的にコンビニでも袋に入れてくれないから、マイバッグみたいなものを持っていた方が良い。ちなみに袋は中国語で袋子(daizi)と言い、親切な店ではレジで「有袋子吗?(袋要りますか?)」と聞かれるから、必要なら頷くか、「有」と言えばよい。
 

コンビニから先の歩道は激しく工事をしており、軽車両専用の道路を歩かねばならなかった。「升级改造(グレードアップ改装)」とか、「正常营业(正常営業)」などと書かれた大きな赤い横断幕が掲げられていた。どうやら、建物の後部はそのままで、前方部分だけを破壊して新たに入れ替えるという、ハリボテ工事をしているように見えた。建物の前方は突き出しているにも関わらず、ちゃんとした支柱が見えぬ構造であったから、建築工学的にみて大丈夫なのかと思った。最近は日本でも大手企業の偽装やら不正事件が多発しており、もはや中国を笑える立場には無いが、北京にはまだまだ怪しい物件があるようだ。
 

改装すると、結果的にはこうなるらしい。遠目に見ると綺麗だが、近くで見ると雑さが目立っていた。
 

ホテルには14時にチェックインした。何だかんだで空港から1時間もかかってしまった。受付には女の店員が2人いた。前回よりも良い角部屋にしてもらえた。なぜかこのホテルは、受付が女の店員だと良い部屋にしてくれるようだ。
 

荷物を置いて、とりあえず馴染みの針灸用具店へ行くことにした。北京で最も大きな針灸用具店である中研太和药店は、ホテルから歩いて10分くらいの場所にある。
 

八百屋でパイナップルの皮を取ってもらっている客がいた。日本には無いタイプのピーラーを使っていて、面白かった。しかし、中国でのこういうフルーツのカット販売は衛生上問題があると言われているから、食べるなら自分でカットした方が安全かもしれない。
 

八百屋の先を左へ曲がり、北新仓胡同を真っ直ぐ行くと、200mくらい先に針灸用具店がある。东直门駅からだと、D出口を出て、5分くらい歩けば到着すると思う。空港直通の东直门駅が最寄になるから、海外から仕入に来たとしても、非常に便利な立地だ。このエリアには北京中医薬大学の附属病院があるから、針灸用具店が5件くらい並んでいる。その中で最も手広くやっているのが中研太和药店で、海外から買い付けにくる顧客が沢山いるようだ。
 

店内に入ると、すでに発注しておいた商品が用意されていた。クレジットカードの機械が不調らしく、支払い終わるまでに15分くらい待たされた。店長の微信を教えてもらい、今後は通販できるように頼んでおいた。しかし、微信钱を使うためには、中国国内の微信支付対応の銀行に口座を開設しておかねばならなかった。それゆえ、日本に帰国するまでに、中国国内で使える電話番号の取得と、口座開設が急務になった。

今後の取引が円滑になるように、日本から持参したヨックモックの詰め合わせや、中国人に人気の抹茶菓子、ミレービスケットなどを、帰り際に手渡しておいた。店員は「いらない、いらない」と言っていたが、無理矢理渡すと嬉しそうにしていた。中国では何かをもらう時は、素直にもらわず、何度か断るのが礼儀らしい。まるで京都や出雲のようだ。京都では「ぶぶ漬けしかおまへんで」と言われて「はい、ぶぶ漬けだけで結構です」と返答して上り込むのはタブーであるし、出雲でもお茶に誘われても3回は断るのが礼儀であると患者に聞いたことがある。全く面倒なことであるが、どんな民族にもそういうややこしいマナーみないなものがあるから、郷に入りては郷に従わねばならない。その後数日は、日本製高級菓子の効果か微信の返信が早くなったが、1週間くらいするとまた連絡が途絶えるようになった。これだから中国人とのビジネスは信用ならぬ。
 

支払いが終わり、一旦ホテルへ戻ることにした。ホテル近くのペットショップの入口に、面白いポスターが貼ってあった。波奇というペット用品店のサイト広告だった。2匹の猫が自撮りしているポスターで、我々がポスターに見とれ入口の前で立ち止まっていると、店主の息子らしき幼児が中からドアを開けようとしていた。どうやら我々が入店すると思い、親切にもドアを開けてくれようとしていたらしい。ペット屋の隣には、日本に昔あった金物屋と雑貨屋、自転車修理屋をちゃんぽんしたような店があった。
 

 ホテルへ戻ったあと、花家怡园の本店で夕食の予約をしておこうと考えた。しかし、とりあえず胡同を散歩しつつ、雍和宫駅から王府井駅へ行くことにした。

胡同でジジイ同士が口喧嘩している場面に遭遇した。ブルーカラー同士の喧嘩という感じであったが、片方のジジイが一方的にまくし立てていた。ジジイは「北京人がなんなんじゃ~!」と言うようなことを叫んでいた。まさに吵吵闹闹(大声で言い争う)という感じだった。
 

北京の胡同では犬が放し飼いにされていることが多い。もはや野良犬との区別はつきにくいが、飼い犬の場合は、大抵飼い主がのんびりと犬の後ろを歩いている。中国ではまだリードを使う習慣が浸透しておらず、まれに犬に噛まれて狂犬病にかかる人がいるらしい。全く恐ろしいことだ。
 

去年から、mobike(摩拜单车)が大流行りしているらしく、街中至るところでmobikeを見かけるようになった。いわゆるレンタルサイクルだが、スマホにアプリを入れておけば、30分0.5~1元(約8~16円)で簡単に利用できるため、地下鉄やバスに乗るよりmobikeを利用する人が増えているようだ。最初に保証金として299元を取られるが、退会すると返金されるようになっている。しかし、最近は会社が破綻して保証金を返せぬという事態も発生しているから、安心できない。

基本的に天安門広場など、自転車での進入が禁止されているところ以外の大通りであれば、どこで乗り捨ててもいいらしいが、基本的には常識的な場所に乗り捨てるようにするのが良いらしい。しかし、やはり自宅に持ち込んで、自家用にして利用しているDQNもいるそうだ。すでに微信钱包が有効になっているスマホであれば、あとはmobikeのアプリをインストールして、電話番号を入力したあと、スマホに送られてくる認証番号4桁を入力し、パスポートを開いた状態で自撮りした自分の写真を添付してmobikeの会社に送信すれば、しばらくするとアプリを使えるようになる。しかし、やはりパスポートと自分の画像を送るのはセキュリティ上不安があるから、悪用されるのが怖ければ、登録しない方が良いかもしれない。mobikeは上海発の会社で、中国をはじめ、シンガポールやイギリスでシェア自転車サービスを展開させているそうだが、とうとう日本でも福岡市でサービスを開始することになったらしい。
 

中国ではすでにAmazonの無人コンビニを先取りした缤果盒子(BingoBox)を上海にオープンさせているように、とにかくスマホのアプリケーションを駆使した技術、電子マネー、ITのイノベーションに関しては、日本なんかより10年先を行っている感じだ。日本には未だに、中国人は人民服を着て戦前のような生活を送っているとか、中国は単なるパクリ大国で日本の方が遥かに技術革新が進んでいると根拠なく信じている愚かな人が少なくないが、こればかりは実際に中国へ行ってみなければ理解出来ぬだろう。確かに、ある部分に於いては日本の方が優っているのは事実だが、特にスマホを駆使したIT技術に関しては、中国の方が遥かに先を行っているのは事実だ。まぁそれでも、中国へ行ったこともないのに、「日本の技術は最高なんじゃ!」なんて嘯いている人は、いつかは時代に淘汰されてゆくだろうから、言いたいように言わせておけば宜しいと思う。とにかく今後は何をやるにしても、中国を無視できないような状況になっている感じがある。
 

中国ではノーヘルでのバイク乗車、通話しながらの運転、自転車の2人乗りは禁止されていないようだ。自転車にリフレクターが付いていなくても罪に問われないようだ。こういうところは日本に比べて遥かに遅れている。チワワにリードを付けて散歩させているBBAがいたが、首のひもがユルすぎて、抜けそうになっていた。やはり犬が他人に牙をむくやもしれぬ可能性は微塵も想像していないのであろうな、と思った。この路地は、柏林胡同というらしい。 
 

しばらく歩くと雍和宫という北京で有名な寺の裏門が見えた。予定ではこの寺へ行くつもりだったが、どうやらもう閉門の時間が近づいているようだった。
 

最近は中国人もマスクをするようになったようだ。中国では、日本ほど大気汚染に関してのヒステリックな報道がなされていないから、今でもマスクをする中国人は非常に少ない。しかし、春に飛ぶ柳の綿は年々増えているらしいから、さすがにマスクをしておかねば外出しがたくなってきた。とにかく、口を閉じて歩いていても、マスクをしていなければ鼻の穴から綿が飛び込んでくるような有様だ。

最近はCCTVでも「你的行动决定你的环境。让我们一起把天空变蓝(あなたの行動があなたの環境を左右します。みんなで一緒に空を青くしましょう)」なんて公共CMを流している。アメリカのトランプ大統領がパリ協定を離脱したから、きっと中国は環境問題について主導してゆくつもりなのだろう。アジアで最も環境汚染が酷いのはインドだと言われているが、その次に酷いのは中国だろうから、とりあえず中国は何とかせねばならぬのは当然だろう。
 

北京の胡同には、ハラル食材やハラル料理を出す店がたいてい1件くらいはある。きっと北京にも回族(イスラム教徒)が多いのだろう。北京には牛街と呼ばれるエリアがあるが、ここには沢山の回族が住んでいる。
 

雍和宫の壁沿いに5分くらい歩くと、やっと胡同の出口が見えてきた。ここを抜けると雍和宫大街に出る。
 

雍和宫大街に出ると、沈香博物館というのがあった。そもそも雍和宫大街という名称の通り、この通りには雍和宫という寺があるから、門前町のように仏具店がたくさん並んでいる。沈香博物館を出店したのも、おそらく需要を見越してのことだろう。本物の沈香は日本では手に入りにくいけれど、中国ではこの店のように博物館を作るほどのコレクターが沢山いて、取引額は高いらしいが、日本よりも本物が市場に出回る率は多いようだ。徳川家康も沈香の香りが好きだったらしく、わざわざ質の良い香木を手に入れるために東南アジアへ船を行かせたらしいが、確かにハイグレードな香木は素晴らしい香りがする。揮発性が高く、パッと香りが消えてしまうアロマオイルよりも、やはりゆらぐような濃厚な香りがある香木の方が私は好みだ。今回は時間がなくて入れなかったけれども、今度この博物館に入ってみよう。 
 
 

この通りには同じような仏具や線香、風水グッズなどを置く店が沢山並んでいた。こんなに同じ品ぞろえでは、客を取り合いになるんじゃないかと思ったりするが、中国の観光地では同じような店が沢山並んでいる光景は珍しくない。
 

 もう16:30になりそうだったから、雍和宫には入れないだろうと諦めて、店を冷やかしながらのんびり雍和宫駅まで歩くことにした。
 

もう16:30になりそうだったから、雍和宫には入れないだろうと諦めて、店を冷やかしながら、のんびり雍和宫駅まで歩くことにした。ある衣料品店の前には、店主らしきBBAが「あと3日、全品5割引きだよ!」という音声を録音した拡声器が置かれ、エンドレスで再生されていた。店頭には「 清仓甩卖(在庫一掃投げ売り)」と書かれた貼り紙があった。大したものは置いていなかったが、見たことのない商品を見るのは中々面白かった。何となくシンガポールのリトルインディアを思い出した。品物の並べ方が似ていた。
 

雍和宫はすでに窓口が閉まっていた。今度来た時に見てみよう。
 

雍和宫の向かいにある路地には物乞いがいた。やはり観光地化した場所に出没するらしい。きっと物乞いに偽物が多いという事実を知っている中国人には相手にしてもらえないから、外国人に恵んでもらおうという魂胆なのだろう。ちなみに物乞いのことを日本の中国語の辞書では化子とか乞丐とか記しているが、だいたいネイティブは話し言葉で花子(huazi)と言う。日本人が作った外国語の辞書に書いてある言葉と、実際にネイティブが使う言葉に乖離があることはよくあることだ。辞書の言葉なんてのはあくまで死んだ言葉だから、本当に外国語を習得しようと思うなら、実際にネイティブが使っている生きた言葉を学ばねばならぬ。今後は日本でも、ますます中国人との接点が増える可能性があるが、日本語で使われている漢字の大半は中国語を起源としているから、命名も中国語の意味との兼ね合いで考えた方が良いかもしれない。日本人にとっては昔から定番の名前であっても、中国人からみたら悪い意味であることは少なくない。最近はDQNネームやらキラキラネームが流行っているけれど、定番の名前であっても安心できぬ。

 

通りを15分くらい歩いて、雍和宫駅に着いた。雍和宫駅前にも、レンタルサイクル置き場があった。この駅の北側には24時間営業している金鼎轩(地坛店)という店がある。味はまぁまぁらしい。
 

ここから地下鉄に乗って东单駅の医薬書店(新華書店)へ行くことにした。車内では駅員がスマホをいじっていた。勤務中ではないのかもしれないが、勤務中にスマホをいじるのは中国ではよくある光景だ。
 

东单駅に着いた。地下通路には何故か椅子が2つ置かれていた。


地下通路の出口には二胡を弾いている二胡花子がいた。目を閉じて全盲を装っているが、実際に全盲かどうかはわからない。中国にはそこら中にプロ花子がいる。確か、数年前に崇文门あたりの交差点で見かけた男のような気がしたが、北京にはこの類の花子が多いから、もしかしたら見間違えかもしれないな、と思った。
 

空はPM2.5の影響か霞んでいた。しかし、マスクが必要なほど大気が汚染されているというほどでもなかった。
 

医薬書店は、歩道橋を渡って5分くらい歩いた、东单北大街沿いにある。歩道橋の南に見える大通りは崇文门内大街だ。ここを真っ直ぐ南下すると崇文门駅があり、そのずっと向こうには世界遺産で有名な天坛公园がある。以前、崇文门駅目の前の北京新侨诺富特饭店に泊まった時は、付近に目ぼしい飯屋がなかったため、东单駅まで電車で来て、帰りは崇文门内大街を歩いてホテルまで戻ったことがあった。確か、のんびり歩いて10分くらいだったから、距離にすると1kmくらいなもんだろうと思う。ちなみに、北京の大通りはほとんどがこんな感じであって、片側5車線と軽車両用の道路1車線、歩行者用の歩道が1つあることが多い。とにかく、日本のせせこましい道路と比べると2~3倍くらい広い。
 

医薬書店の手前にはHolilandという新しいパン屋がオープンしていた。中を覗くと、マカロンや六花亭みたいなレーズンサンドを扱う、洋菓子店のようであった。メイドみたいな制服を着た、ノースコリアを彷彿とさせる雰囲気の店員が、中国人ではありえないくらいの笑顔をふりまき、試食を配っていた。いつも無愛想なはずの中国人があんなにニコニコしていたもんだから、もしや清国時代に流行ったアレをやっているのかな、と勝手に想像した。
 

パン屋の近くには行列が出来ている菓子屋があった。北京では最近、この手の洋式スイーツが流行っているらしい。ショーケースには「美味老婆饼 三送一」、「葡式蛋挞 五送一」と書かれていた。「美味老婆饼」は直訳すれば、「美味しい人妻クッキー」となるが、これだと多少猥褻な感じがするから、どうしても日本語で理解したいなら、「ママの手作り美味クッキー」とでも意訳しておけばよろしい。

そもそも言語というものは、他の言語に無理矢理変換して理解しようとするから可笑しなことになるのだ。「葡式蛋挞」の葡は葡萄(ぶどう)のことではなく、葡萄牙(ポルトガル)の意味だ。「蛋挞(danta)」はタルトのことだから、「ポルトガル風タルト」という意味になる。「三送一」というのは「3個買ったら1個おまけ」という意味で、最近よく見かける文句だ。「买三送一」と書いてあることもあるが意味は同じである。 
 

菓子屋の前を通過して东单北大街を歩いていると、医薬書店の手前の横断歩道すぐ脇の路上に人だかりができていた。どうやら、何か月も風呂に入っていない乞食らしき20代くらいのヒゲ面の薄汚れたヒゲ花子(乞食女)が、自分で書いたらしき汚い文字を誇らしげに貼り付けた掛け軸を見本として沢山並べて、実演販売しているようだった。公道で勝手に店をおっぴろげるんじゃねぇ、と思ったが、憐み深い私は1元札を箱に投げ入れてやった。すると、無愛想にしていたヒゲ花子は急にニコニコ顔になり、谢谢と言った。  
 

私は、こんな大して上手くも芸術性もない、汚ねぇ掛け軸を買うアホはいるのだろうかと思いつつ、しばし足を止めて眺めていた。すると、待っていましたとばかりに、早速、カモになりそうな観光客らしき白人の集団がやってきた。

白人集団のそばには、通訳らしき中国人女がついていた。掛け軸に興味をもった白人は、スマホの翻訳アプリで「福」という文字を画面に大きく表示させて、通訳を介してこの文字を掛け軸に書いてくれるかとヒゲ花子と交渉し始めた。
 

どうやら、ヒゲ花子は平時は仏頂面であったが、お布施をもらったり、金の交渉をする時だけは笑顔になるようだった。驚いたことに、ヒゲ花子は「福」という文字を100元で書いてやると言ったが、白人は嬉しそうにOKと言った。
 
こんなゴミのような掛け軸を大事に家の床の間なんかに飾る様子を想像すると寒気がしたが、ある人にとってはゴミのようなものであっても、ある人にとっては宝になることもあるわけで、確かにこれはどちらともなり得る宝贝と呼ぶべきシロモノなのかもしれないな、と考えた。
 
ヒゲ花子がどんな「福」の字を書くのであろうかと、一部始終を撮影することにした。100元札を受け取った女は、しばらくニコニコしながら掛け軸の準備を始めたが、私がスマホで撮影していることに気が付くと、露骨に嫌そうな顔をし始め、こちらをチラチラみながら悪態をつくようになった。
 

公共の歩道で大風呂敷広げて、無許可で税金も納めずボッタくり営業しているのだろうから、不法行為は撮影されてしかるべきと思ったが、とにかくヒゲ花子はカメラを向けられることに対して異様なほどに苛立っていた。このままでは、哀れな白人が注文した書がいつまでたっても仕上がらぬ様子であったから、仕方なく撮影を止めにした。ふと足元を見ると、小さく切り取った段ボール片に中国語で「撮影しないで下さい」と書かれていたが、字が汚すぎて、全く気が付かなかった。私はヒゲ花子に1元くれてやったことを後悔したが、これ以上関わるのは不快だったので、ウ〇コ女のことはスッカリ水に流すことにして、医薬書店へ行くことにした。
 

すると、何故か乞食女の邪気に反応したのか、近くを散歩していた犬が喧嘩を始めた。 
 
 

医薬書店は屋号のとおり、医薬関係に特化した書店だ。針灸、中医、解剖関係の本に関しては、おそらく北京で最も品揃えが良いと思う。とりあえず、いつも通り、奥の小部屋に並ぶ針灸、中医関係の本を片っ端からチェックして、目ぼしい本をバンバンと積み上げていった。すでに17時を過ぎていたから、新入りらしき店員のオバ半に、閉店時間は何時かと尋ねた。オバ半はなぜか嬉しそうにして、「18時30分までだよ」と言った。

ついでに、人民卫生出版社の「中医外治疗法治百病丛书」というシリーズ本を全部集めようと思い、暇そうなオバ半店員に探すのを手伝ってもらうことにした。私はオバ半が本をかき集めている間に、他の目ぼしい本を探すことにした。オバ半は何かの本が在庫がないと呟いていたが、結局全て揃っていた。あとは、张仁の「针灸的探索.经验.思考」という本を買おうと思っていたが、店頭に在庫がないようだった。念のため、レジのオバ半にパソコンで在庫検索をしてもらったが、ダメだった。とりあえず金を払って店を出た。
 

医薬書店からはいつもどおり、歩いて王府井まで行くことにした。王府井は东单のすぐ隣にあるから、医薬書店で本を買ってから、王府井まで歩くのが定番になっている。王府井は北京の銀座と呼ばれているが、志向はなんとなく似ていないこともないが、そもそも、銀座というモノを当てはめること自体がおかしい。やはり銀座は銀座、王府井は王府井として理解したほうが賢明だ。
 
最近は何でもかんでも神対応だとか、〇〇女子だとか、〇〇すぎる〇〇だとか、マスゴミが下らない表現を愚かにも安易に使い回しているが、まるでボキャブラリーの貧弱な中高生みたいなもんであって、ハッキリ言って不快でしかない。北京にも誰が言い出したのか知らぬが、北京の渋谷と呼ばれる西单という場所があるけれども、単に若者が多く集まっているだけであって、ハイソな明治通りも無ければ、怪しい円山町や道玄坂もないし、109も、魔界村ならぬ乞食村と化していた今は亡きM下公園も、ホームレスとカラスとデング熱を媒介する蚊が仲良く共存していて一般人が近寄りがたいY々木公園も、ヤク中暴走車が突入してくるスクランブル交差点も、ハチ公も、奇抜な人種も、谷のような地形も、スペイン坂もありゃあしない。なに1つとして渋谷と共通な部分があるわけでもないのに、ただ若者が多い街だと言うだけで西单≒渋谷と言うならば、全く馬鹿げているとしか思えない。命名した輩は余程、頭の中がお花畑なのか、東京人を気取ったカッペなのかもしれない。世界的に見ても、渋谷ほど強烈にカオスな街はまず無かろうと思う。  
 

とりあえず、王府井書店で目ぼしい針灸書を少し漁っておくことにした。  
 

王府井書店を出たあとは、以前から食べてみたかった、冰糖葫芦(水飴菓子)を買ってみることにした。ネイティブは単に糖葫芦と呼ぶことが多い。材料は山楂とか山里红などと呼ばれるサンザシや苹果(りんご)、菠萝(パイナップル)、葡萄(ぶどう)、草莓(いちご)などで、それらを串刺しにして水あめでコーティングしただけの菓子であるが、中国人には大人気で、王府井ではいつもバカ売れしているようだった。結局、あとでまた王府井へ来ることになり、その時買ってみることにした。  
 

ローマ字でMINISOU、カタカナでメイソウ、中国語で名創優品と書いてある店が、最近北京で流行っている。大創(ダイソー)をもじって小創(ミニソウ)としたのかどうかはわからぬが、店のスタイルを見た感じでは、明らかに日本の100均を意識していると思われた。どちらかと言えば、3COINSにクリソツな雰囲気だった。聞いた話によると、創業者は日本人らしい。店内の商品は基本的にどれも10元均一だが、10元以上の商品も沢山ある。感覚的にはティーンエイジャーな女の子向けの商品が多い。ぬいぐるみコーナーにはリラッ〇マらしき商品が並べられていたが、本物かどうかはわからなかった。
 

夕食は、apmという百貨店で食べることにした。いつも通り鼎泰豐に入るつもりだったが、エスカレーターから見えたノボリに、シンガポール料理店が新しくできたと書いてあったので、そこへ行くことにした。
 
王府井はテナントの入れ替わりが激しいようで、北京ダッグで有名な大董の支店らしき、小董という店もオープンしていた。大董は老舗店を凌駕するようなスタイリッシュな店らしいが、小董はさらに磨きをかけたスタイルで王府井で勝負しようという雰囲気の店構えだった。今度行ってみよう。 
 

店内は比較的若者で混んでいたが、すぐに中に通された。新規店ゆえか、ホールにいるスタッフの数が多く、活気があって、やる気が感じられた。とりあえず、星洲米粉、芝士虾肉土豆饼、香草烧肉炒饭、龙眼雪梨汁(龍眼と雪梨のジュース)、可口可乐(コカコーラ)を注文した。
 

明らかに接客に不慣れな男の店員が「コカコーラは冰的(冷たい)のか热的(熱い)のか」と言った。冷たいコカコーラなら飲んだことがあるが、熱いコカコーラは飲んだことがなかったから、興味本位で熱いのを注文した。ジュースはすぐに運ばれてきたが、コカコーラは常温の缶が運ばれてきた。どうやら常温であっても热的と言うらしかった。コカコーラはこびとの注文であったが、こびとが冷たいやつが良いと言ったので、仕方なく「悪いが冰的に変えてくれ」と男の店員に言うと、店員はバツが悪そうにして、冷蔵庫から冷えた缶を持ってきた。それを見ていた女の店員が、「なんで最初から冷たいやつを出さないんだ!」と男の店員に怒っていた。男の店員には悪いことをしたな、と思った。
 

 
龙眼雪梨汁はハッキリ言って美味くなかった。星洲米粉はビーフンの料理だったが、これもイマイチだった。芝士虾肉土豆饼は料理名の通り、チーズと海老、ジャガイモを入れたコロッケみたいなもんだったが、脂っこすぎてイマイチだった。香草烧肉炒饭はチャーシューの角切りが入ったようなチャーハンであったが、これもあまり美味くなかった。


食後にはハミウリと西瓜がサービスで運ばれてきた。中国の南方ではよくある無料の口直しフルーツみたいなもんだ。シンガポールには1度行ったことがあるが、この店の味はちょっと違うな、と思った。店員は中々頑張ってる雰囲気だったから、残念に感じながら、テーブルで会計を済ませた。隣の席には40代と思しきBBAが座っていたが、スマホで吐き気を覚えるくらいキモいポーズで自撮りしたあと、その写真の加工に夢中になっていた。こびとはその写真を盗み見していたが、年齢不詳なほど盛っていたと言った。 
 

飯屋を出たあとは、百貨店内をブラブラ歩くことにした。「友唱 M-Bar」と記された電話ボックスのような外観のカラオケボックスが2つあった。中の人は何やら熱唱していたが、ほとんど音漏れは無かった。これは中々画期的なカラオケボックスだと思った。Amazonの無人コンビニを先取りした缤果盒子((BingoBox))もそうだが、中国人はアイデアや技術をパクって、たまにオリジナル以上の革新的なモノを作り上げることがあって面白い。
 

1階に降りると、去年と同様、客が映し出される巨大なモニターが設置されていた。モニターに映る自分を観ながら、神妙な面持ちで踊っている女の子がいた。目が本気だった。  
 

外の大通りに面した場所にはアップルストアがあったが、店内は日本と同じようなレイアウトだった。しかし、アイフォンの価格は日本よりもかなり割高だった。この価格じゃ一般人は手に出来ないだろうと思ったが、そういえば北京では、貧乏そうな身なりの人でもアイフォンを持っていることが珍しくない。

ちなみに中国では高級スマホの盗難が多く、ロックしてあっても、ロックの解除を専門に請け負う凄腕の闇業者もいるらしいから、比較的セキュリティが厳しい最新のアイフォンであっても、盗品を簡単に初期化して、闇ルートで売り飛ばすということが珍しくないらしい。北京の某所では、中古のアイフォン5が無造作に平積みされて売られているそうだ。実際に、偽物と思しきアイフォンを街中で手売りしているジジイなんかもたまに見かける。そもそも、アイフォンは中華製であるというダークな部分をアンフェアに隠しつつ、高級品であるかのようにブランディングして売っているようなフシがあって好きになれぬが、所詮は中国人が中国で製造しているわけだろうから、中国人が精巧な模造品を作って売りさばくなんてことは、もはや容易いことなのかもしれない。だいたい、大幅なコストカットに目が眩んで、人件費が安い中国を世界の工場としてしまったことが技術の流出、模造品の放出の始まりだったわけだが、中国にとってはそれが大きな経済発展の原動力の1つになったのであろうし、今や中国はかつての大国の如き脅威として返り咲いたような感じがある。
 
 

しかし、中国製でアイフォン7が256Gで7,988元とは高すぎる。中国の物価からしてみれば、日本円で30万円前後の感覚だろうか。1元16円で約127,800円でも凄まじく高いと思うが、1元20円だったら約16万円であるから、中国人からみたら50万円前後の商品に見えるのかもしれない。たかだかスマホに数十万円も注ぎ込むのはどうかと思うが、今の挺有钱的な中国人は恐ろしいくらいの金をもっているらしいから、このくらいの金額など端た金なのかもしれない。

私としてはデュアルSIM対応で、マイクロSDが挿入できて、ライカのダブルレンズカメラが付いているHUAWEIのフラッグシップモデルでも買った方が遥かにコストパフォーマンスに優れていると思うが、捉え方は様々だから、今後もクソ高くてもアイフォンを買いたがる人はいるのだろうと思う。きっとアップルと言う会社は、信者を集めるためのブランディングに長けているのだろう。まぁ確かにアイフォンはカメラ性能がずば抜けているし、デザインも洗練されているが、中華製のくせに暴利を貪りすぎている感じがある。

ちなみに最近の日本のスマホは、あまりにレベルが低すぎて買う気すら起こらない。中国では精巧な偽アイフォンが沢山出回っているように、中国に工場を構える大会社の機密情報などは駄々漏れになっているような雰囲気もあるし、偽装基地局を使った犯罪など日常茶飯事だ。ハッキングなど犯罪が高度になればなるほど、それを押さえつけようとする防犯のための技術も進化してゆくから、自ずと良いスマホができるような土壌がある。中国の高考でのカンニング技術がスパイ映画なみに進化しているのも、似たような一例だろう。銃犯罪の多いアメリカで、SWATやFBIなどが使用する銃器の品質や、抑止力が年々高度になってゆくのと同じだ。平和ボケして、隣国から核攻撃されても指をくわえて眺めているような日本から出たことがなく、日本製品が最高だと未だに盲信しているような人には理解しがたいかもしれない。
 

王府井をしばらくブラブラしたあとは、金鱼胡同を通って灯市口駅から地下鉄に乗ることにした。金鱼胡同という通りは、胡同という名称がついているものの、実際には大街という感じの大通りだ。昔は名称のとおり、金魚を売る店が並んでいたらしい。

金鱼胡同の中ほどには、澳門中心商場などの煌びやかなビルが並んでいるが、さらにその先の金宝街という通りに入ると、超高級なホテルが林立している。金宝街という通り名が示す通り、金融街みたいな雰囲気があり、金持ちそうな外国人があたりをうろついていた。

マカオセンターの前の広場では、30代と思しき中国人女が地面に鞄を投げ出し、「誰か私に飯を喰わせてくれ!」などと、交差点に響き渡る声でキチ〇イみたいに叫んでいた。マカオセンターはヒルトンホテルやロレックスが入っているビルだから、金持ちに何かおこぼれをもらおうという新種の職業乞食だったのかもしれない。まぁ、日本にも種類は違えど、タカリ専門の女がいるのは事実だから、この中国人女をバカにできない。 
 

マカオセンターの向かいには、目の錯覚を使ったような、巨大な急須のオブジェがあった。どうやら「TEA CULTURE HOUSE」と記された茶屋のものらしかった。
 

遠くからみると急須が宙に浮いているように見えたが、予想通りステンレスの支柱が流水の下に隠されていた。中々面白いオブジェだった。
 
茶屋の隣には北京诺富特和平宾馆という、ノボテルグループのホテルがあった。ノボテルグループは北京市内に数か所、比較的規模の大きなホテルを展開しており、宾馆という割にはリッチな感じのホテルだった。中国の宿泊施設は主に饭店、酒店、宾馆などと呼ばれているが、饭店と酒店は中級~上級、宾馆は低級という感じで棲み分けしている。一般的なホテルは、北京などの北方では饭店、上海などの南方では酒店と呼ばれることが多いようだ。ちなみに、古代の旅人や飛脚的な商人が山中で泊まったような、日本でいう旅籠の類 の粗末な宿のことは客栈とか客店と言う。
 

この通りには、一般的なスーパーマーケットもあれば、数十万円以上の工芸品があったりして、ブラブラと歩いているだけでも面白かった。
 

金鱼胡同と金宝街の交差点では、リヤカーの荷台で、パイナップルと西瓜などのカットフルーツを売っているオバ半がいた。中国は日本と違って歩道が広いから、あまり文句を言う人もいないらしい。しかも、警察に営業許可をとる必要なんてないのだろう。フルーツの売れ行きが悪いようで、オバ半は寂しそうにしていた。この交差点を左折して150mくらい歩けば、灯市口駅への入口が見えてくる。
 

灯市口駅のすぐ近くには、今現在ではGoogle Mapには表示されていない、大きな病院があった。Googleは中国当局に規制されている状態ゆえか、正確な地図を作りがたいのであろうが、まぁ日本でおおよその位置を調べておくのには役立っている。中国では、最近はVPNの規制も厳しくなっているから、中国にいる時はスマホに百度地图のアプリを入れておくと良い。Google Mapのようにストリートビューや衛星写真などを利用した機能は無いが、とりあえずは役に立つ。
 

灯市口駅から地下鉄5号線で2駅行けば、ホテルのある北新桥駅に着く。
 

北京の地下鉄には、駅員のお立ち台があるが、座るなとか、寝るなとか、上るな、とか書いてある。地下鉄構内にはベンチがほとんどないから、座ってしまう人がいるのかもしれない。
 

北新桥駅の周辺も工事をしていた。中国の工事は早いから、きっとあと半年もしたら綺麗になっているのだろう。
 

雍和宫大街を200mほど北上し、北新桥三条胡同という看板が見えたら右折し、まっすぐ行くとホテルにたどり着く。北新桥三条胡同は、大通りに比べると少し薄暗いが、飲食店が所々にあり、遅くまで酒盛りしている人々がいるから、治安が悪い感じはあまりない。リヤカーの荷台に火のついた炭を載せ、飲食店に届けているジジイがいた。
 

ホテルに戻って、ふとエアコンのスイッチを見ると、施工時に掘ったらしき穴が開いていた。中国の電気関係や水回りの施工業者は本当に仕事が雑だが、依頼者もあまり細かいことは気にしないようだ。 
 

今回も、針灸や中医関係の本を沢山買えた。万歩計を見ると、27,301歩を示していた。だいたい北京に来ると、1日3万歩以上は歩くことが多い。翌日は始発の電車で八达岭长城へ行く予定だったので、シャワーを浴びてすぐに寝た。
 


2日目


2日目は4:30に起床した。やはり慣れぬ部屋ゆえ、寝入るまで時間がかかったが、とりあえず5時間くらいは眠ることが出来たようだった。こびとを起こし、5:00にホテルを出た。受付にいた従業員は、みなカウンターに突っ伏して寝ていた。外からホテルを見上げると、すでに起きている人がいるようだった。
 

ホテルからは徒歩で雍和宫駅まで行き、5:28発の2号線の始発に乗らねばならなかった。ホテルから駅までは徒歩15分くらいだから、ゆっくり歩いても余裕で着くだろうと予想していた。ホテルの前の路地では、早朝にもかかわらず、フォークリフトで何やら運んでいるジジイがいた。
 

ホテルから5分くらい歩いたところで、駅とは逆方向に歩いていることに気が付いた。普段利用しない駅へ向かっていたのと、寝ぼけていたのとで、真逆な方向へ歩いていることにしばらく気が付かなかった。


急いで来た道を戻り、雍和宫大街へ向かった。すでに5:10を過ぎていたから、ギリギリ間に合うかどうかだな、と思った。雍和宫大街を歩いている人はほとんどいなかったが、オレンジ色の制服を着た街の清掃員1人と、朝まで飲み明かしたと思しき若者が数人歩いていた。すでにバスは始発が動いているようだった。どうやらバスは、電車よりも早く動き出すらしい。とりあえず、こびとがついてこれる速度で走ることにした。  
 
 

荷物のX線検査を終えて改札を通ると、5号線の電車がちょうど到着したところだった。電車のドアが開くや否や、10人くらいの乗客が、凄まじい形相でこちらへ向かって走ってくるのが見えた。きっと5:28発の2号線に乗り換えるんだろうなと思ったが、そんなに急がなくても大丈夫だろうと高をくくっていた。何となく、ここは中国だから、始発は時間通りに来ないのではないか、と考えていた。それに、こびとがかなり息を上げていたので、これ以上は急げない感じだった。
 

結局、予想外にも電車は5:28ちょうどに到着し、凄まじい形相で走り切った人々だけを吸い込むと、冷徹な具合にスッとドアを閉め、出発してしまった。ホームの上にぶら下がった電光掲示板は、「8分钟(次の列車到着まで8分)」と示し、虚しく光っていた。
 

次の電車も時間とおりにやってきた。土曜日の早朝ゆえか、車内は比較的空いていた。予定では、始発に乗って5:45までに西直门駅へ行き、そこから徒歩で隣駅の北京北駅に入り、6:12発のS2線のS201に乗って八达岭駅へ行く予定だった。まぁ仕方ない、のんびり行くか、ということになった。
 

西直门駅には6:00に着いた。北京北駅はすぐ隣にあるから、急いで歩けば間に合うな、と思った。北京北駅は、万里の長城の最寄駅である八达岭駅行きの電車が出ている始発駅で、土曜日だからきっと混み合っているだろうと予想していた。

しかし、西直门駅構内には人がほとんどおらず、これは何かおかしいな、と思った。
 

西直门駅の改札を出て、北京北駅の前へ行くと、何故か切符売り場につながる通路には誰も立っていなかった。あまりにも奇異な人気(ひとけ)の無さで、誰もいないパラレルワールドか、異次元世界に迷い込んでしまったような気がした。
 

切符売り場の上にある、「售票厅(切符売り場)」と書かれた看板と電光掲示板が寂しく点灯していた。そもそも、駅が営業していなければ、看板など点灯させないはずだと思いながら正面入り口へ行ってみると、入口のドアが開放されていて、奥の窓口に明かりが灯(とも)されているのが見えた。

とりあえず、中に入ってみることにした。2重ドアになっているエントランスを抜けると、奥の窓口の前で、駅員らしき中年男性1人と警備員らしきジジイが、立ち話をしているのが見えた。入口には金属探知機のゲートが設置されていたため、私が「中に入っていいか」と聞くと、ジジイは「入っていい」と言った。

私がジジイに近寄り、「八达岭駅に行きたいんだが…」と言うと、ジジイは入口横の掲示板に貼ってある「温馨提示」と書かれた紙を指さして、「ここは始発駅では無くなった。13号線で霍菅駅まで行って、そこから歩いて黄土店駅まで行け。黄土店駅が八达岭駅行きの始発駅になったから」と言った。

これまでは、この北京北駅がS2号線の始発駅になっていて、列車で八达岭駅へ行く観光客のほとんどが、ここから乗るようになっていた。しかし、いつの間にか始発駅が黄土店駅に変更になったらしい。今後しばらくは、八达岭駅や終点の延庆駅まで行くには、13号線で霍菅駅まで行き、G4出口から東南方向へ110mほど歩いた場所にある黄土店駅まで行かねばならない。黄土店駅は新しい駅を作るための臨時的な始発駅らしいが、確かに黄土店駅が始発駅となった方が利便性は増すのかもしれないな、と思った。

S2号線の終点である延庆と言えば、林檎や葡萄、杏などが有名だけれど、真っ先に頭に浮かぶのは延庆火勺だ。延庆火勺とは日本で言えばおやきみたいなものだが、中国独特の料理である。烧饼とか火烧とも呼ばれていて、発酵させた小麦を焼いて、その中に野菜や肉を詰めて、ハンバーガーのように食べる料理だ。

万里の長城にも、火勺に似た肉夹镆という焼きパンが売られているが、どうやら味は違うらしい。元々は明朝時代に、永宁古城に常駐していた兵士の携帯食として作られていたらしいが、今でも延庆では日常的に食べられているそうだ。また、延庆では毎年「延庆火勺王」という火勺のコンテストがあって、2014年に優勝した永宁镇中国北京市延庆县)の李冬梅というオバハンの店では、火勺が毎日12,000個も売れているらしい。 永宁镇には火勺の店が十数店舗軒を連ねているそうだが、特にこのオバハンが作る火勺が美味いらしい。住所は「永宁镇永宁古城一条街内」らしいが、タクシーの運転手に「火勺王の店まで」と言えば、通じるそうだ。機会があれば、一度は食べてみたい。 
 
 

念のため、西直门駅の始発、終電時刻をチェックしておいた。
 

とりあえず、ジジイに言われたとおり、西直门駅から13号線に乗ることにした。
 

まだ時間が早いせいか、車内は空いていて座れた。車内のモニターでは何かの映画が流されていた。
 

車窓からは閑散とした北京北駅が見えた。今後この駅付近を廃線とするのか、将来リニューアルして使うのかはわからない。
 

外は曇っていた。予報では雨が降るという話だったが、何となく持ちこたえそうな空模様だった。雨が降ったら、八达岭长城の売店でカッパを買おうと考えていた。
 

向かいのシートには、明らかにデズニーのパクリらしきバッグを持っているジジイがいた。バックに描かれたマウスは明らかにデズニーのそれと同じであったが、全くの別物であると弁明するかのように、しつこいくらいの文字数で「Mike」、「Mimi」と記されていた。
 

15分ほどで霍菅駅に着いた。G4出口から出て、東南方向へ110mほど行けば黄土店駅があるはずだった。
 

出口を出てちょっと驚いた。霍菅駅周辺は一昔前の北京のようで、まだ未開発のような場所であった。駅の周囲には何もない感じだった。
 

1本の長い鉄柱を、2人のジジイが肩に載せて運んでいた。S2線乗り場の看板が出ていたので、迷うことはなかった。
 

駅の周囲はこんな感じで閑散としていた。この道を真っ直ぐ行くと、黄土店駅があるはずだ。
 

黄土店駅のすぐ手前には「公告」と題された駅の告知が掲示してあった。これまでS2線は、八达岭长城目当ての観光客を際限なく乗客を詰め込んで走っていたそうだが、いつからか、300人程度を1回の輸送上限とすることにしたらしい。要するに「チケットを買えなかった乗客は、自力で交通手段を探すなど、他の方法で八达岭长城まで行って下さいね」という旨の告知が記されていた。

そんな哀れな客を狙っているのか、角を曲がると、黑车(違法タクシー)の運転手らしきジジイが数人、「八达岭长城まで連れてくよ」と呟きながら駅前を徘徊していた。中国人は隙あらば稼いでやろうという、あざとさがあるが、まぁナマポでギャンブルに明け暮れているような人々に比べれば、生産的に働いているという点ではマシなのかもしれないな、と思った。
 

黄土店駅はプレハブのような、やっつけ的な仮駅舎、という感じの外観だった。しかし構内にはX線検査場と、改札が備えられていた。改札には駅員なのか単なる地元民なのか見分けがつかぬ私服姿のジジイがいて、何故か乗客のチケットをチェックしていた。念のためジジイに一卡通を見せて、「これは使えるか」と聞いたら、「刷卡か。使えるよ」と言った。クレジットカードのことは拉卡とか信用卡などと言うことが多いが、交通カードのように機械をサッと通すカードのことはみな刷卡と言ったりする。ちなみに、中国語で「刷」というのは、「はけ」とか「サッと塗る」という感じの意味だ。「」は「カード」の意味だ。どうやら一卡通を使うと、切符代6元が5元に割引されるらしかった。
 

X線検査場には4人の女警備員がいたが、次の列車が来るまでは暇らしく、おしゃべりしていた。
 

駅の待合室はシンプルな作りで、ベンチが沢山並べられていた。列車が来るまでホーム入口のドアが開かないらしく、みなベンチに座って待っていた。中国の列車乗り場にはこんな感じで椅子が沢山あるから、座って待つのには困らないことが多い。席の数を数えてみたら、150席くらいはあった。すぐに座れなくなるほど座席の少ない東京駅の新幹線の待合室に比べると、遥かに広くて快適だった。
 

奥の方の椅子に座ってしばし待つことにした。どうやらホーム入口のドアの近くは人気があるらしく、隅の椅子しか空いていなかった。みなワイワイとしゃべりながら、何かしら食べていた。
 

次の列車はS287で、黄土店駅8:04発→八达岭駅9:20着らしかった。列車が来るまで1時間くらいあったので、駅舎の中を徘徊することにした。 
 

時刻表の前には、カップルらしきジジババが立っていた。帰りの列車の出発時刻がわかるように時刻表の写真を撮っておこうと思ったが、指を差しながらずっと喋っていたから、うまく写真が撮れなかった。
 

朝食を食べていなかったので、売店で中国製のカップラーメンを買うことにした。6元(約96円)だった。味は3種類くらいあったが、どれも想像しがたい味だったので、適当に選んだ。
 

トイレの横にボイラーがあり、お湯はそこで入れられるようになっていた。感覚的にはトイレでお湯を入れるような具合だったが、あまり気にならなかった。中国の公共施設では、至る所で熱湯が出るようになっているから、便利と言えば便利だ。中国人は常に水筒を持ち歩いていて、マイボトルで白湯やお茶を飲む習慣があるから、ディズニーランドでも、夜行列車でも、高铁でも、熱湯を使えるような設備が整っている。
 

中国のカップラーメンは、蓋を空けると折り畳みのフォークが入っている。お湯を入れて何分待てば良いかは書かれていないが、まぁだいたい3分くらいで出来上がる。味は少し麻辣で、意外に美味かった。中国では日本メーカーのカップラーメンも売られているが、ハッキリ言ってどれも不味い。パッケージが日本のそれと似ていたとしても、味が全く同じだと思ってはいけない。ラーメンを食いながら、こびとと会話していると、隣に座っている根暗そうなジジイがこちらをチラ見しているのに気が付いた。ジジイは独りらしかったが、どうやら顔立ちから日本人のようだった。日本語が聞こえてきたゆえ、こちらをチラチラ見ていたようだった。
 

しばらくすると、みな立ち上がって列に並び始めた。間もなく列車が到着する様子であった。八达岭駅行きの列車は基本的に全て自由席であるから、改札からホームを走って席取りをするのが恒例らしいと、事前にネットでみて知っていたが、どうやら真実らしかった。みな、出走する前の競走馬のように興奮していたが、私は300人座れる列車であるから、100人並んでいるくらいなら余裕で座れるであろうと、冷静に観察していた。

しかし、ドアが開くや否や、後ろに並んでいる輩がグイグイと押してくるもんだから、仕方なく走ることになった。競争するように走るのは高校以来で、20年ぶりくらいだった。高齢者を連れている人は大変だろうな、と思った。
 

ホームの右側のルートを凄まじい勢いで走っているBBAがいた。席は腐るほどあるのに鬼のような形相で走るとは、よほど欲求不満なのであろうか、と想像した。ほとんどの中国人は童心にかえったかのように、笑いながら走っていた。

予想通り、席はかなり空いていた。みな席を確保すると、満足そうに笑っていた。1車両の定員は64人らしい。
 

しかし、10分くらいすると満席になったようで、通路に立つ人が出始めた。隣の食堂車は、席を確保できなかった乗客であふれており、食事などできる雰囲気ではなかった。我々の前に座っていたBBAは、隣の見知らぬ男性と話し始めたが、仕事や金の話ばかりしていた。一般的に、中国人は常に金の話をしているというが、これは本当の話だ。初対面の人と会話する場合、日本人やイギリス人なら、まずは天気や他愛のない話をするだろう。ドアの上の電光掲示板には「祝大家旅途愉快!(皆さんの旅が愉快なものとなりますように!)」という文字がエンドレスで流れていた。
 

鉄ヲタではないから詳しいことはわからなかったが、線路は日本のそれよりしょぼい感じだった。
 

列車が出発してすぐに、車内販売が始まった。乗務員が両手に袋入りのポップコーンをぶら下げ、「卖爆米~,爆米卖了~,6块!(ポップコーン売ってるよ~、1個6元!)」と呟きながら、車内を練り歩いていた。
 

しばらくすると、右斜め前方の席に座っていたオバハンが、通りかかった乗務員を呼び止めて、何やら話始めた。どうやら、列車がスイッチバックするような具合に、座席の向きと逆方向に走りだしたため、オバハンは気分が悪いということだった。オバハンは「何でこの列車は後ろへ向かって走るんだ」とか、座席は回転しないのかとか訴えていたが、乗務員は笑いながら「没事儿,没事儿!(大丈夫だよ!)」と言って、全く相手にしていなかった。だいたい、中国人は大丈夫でないことも没事儿と言って済ませる傾向にある。オバハンはどうにもならぬと悟ったようで、席に座るのを止めて立っていた。どうやら延庆駅でスイッチバックするまで、このまま走るらしかった。
 

車窓からは時折、スラムな世界が見えた。中国は観光地や都市部と、田舎との落差が非常に激しい。最近は国を挙げて貧富の格差を無くそうと努めているらしいが、実際にはまだまだゴミ溜めになっているような集落が少なくないようだ。こういう中国の現実を目の当たりにすると、日本はド田舎でも、それなりのインフラが整っているから、やはり日本の方がいいな、と思ったりする。
 

車内販売のカートが何度か行ったり来たりしていたが、あまり買う人はいないようだった。後ろの席のジジイが、駅の売店で買ったカップラーメンを食い始めたため、車内はラーメン臭くなっていた。ちなみに中国の列車には、熱湯が出るタンクが積んであるから、乗客がカップラーメンを食べたり、お茶を入れたりすることができるようになっている。
 

トイレが混み合っているらしく、見知らぬBBAが私の席の目の前で立ちんぼし始めた。BBAは何も言わずに突っ込んでくるもんだから迷惑だなと思ったが、中国ではこれが普通だ。しばらくトイレから出てこないジジイがいたのだが、それを知らずに無理矢理鍵の閉まったドアをこじ開けようとするBBAや、ドアが開かないと乗務員に通報する女、鍵を閉めずに用を足すBBAに驚いてドアを閉める女、「有人吗?(誰か入っているか?)」と叫ぶBBA、「有!(入ってるよ!)」と叫び返すBBAなどがいた。
 

1時間くらいすると、線路脇に自生している、杏の木々が見えてきた。あと20分くらいで八达岭駅に到着するはずだった。この辺りに来ると、徐々に长城が見え始めてきて、写真を撮り始める乗客がいた。

結局、8:04発のS287という列車に乗り、9:20に八达岭駅に到着した。ほぼ定刻通りだった。時刻表通り、約80分の乗車だった。
 

駅の出口付近では、駅員がやる気のない感じで帽子を売っていた。
 

とりあえず、群衆が歩く方向へついていくことにした。八达岭は雨時々曇りの予報であったが、僅かながら晴れ間が見えていたので安心した。
 

駅舎を出てすぐの場所で、ひざ掛け毛布を手売りしているオバハンがいた。
 

駅の隣の建物ではマイクを使ってしゃべりながら、防寒着を売っているオバハンがいた。
 

駅から人の流れにのって100mほど歩くと、黄緑色のバスが数台停まっていた。これはもしや、観光客をあらぬ場所へ拉致するという、偽バスではないかと警戒した。しかし、どうやら、长城の入口まで無料で送迎してくれる、公共のバスらしかった。広州では、完全に偽装した公共バスが市内を走っているらしいし、このあたりでもクローンバスが観光客を乗せて走っていると聞いていたから、最初に他の観光客に道をゆずり、彼らが乗って問題無さそうであれば我々も乗ろう、ということにした。
 

とりあえず、まわりにいた中国人がみな乗り出し、安全そうだったので、我々もバスに乗り込むことにした。女の乗務員に急かされて乗りこむと、すぐにバスは発車した。中国では運転手が安全確認を怠り、乗客が乗りかけている途中でドアを閉めたりすることが珍しくないから、素早く乗りこまないと危険な目に遭うことがある。とりあえず、車内の動画を撮ってみた。

バスは軽い傾斜の山道を3分ほど走り、凄まじく広大な駐車場に入った。八达岭駅から1kmくらいの距離だろう。他にも沢山の観光バスが停まっていた。 
 

バスはチケット売り場のすぐ前で停車した。他の乗客に急かされるようにしてバスを降り、チケット売り場に向かって歩くことにした。チケット売り場には行列ができていたが、5分くらいで自分の番になりそうだった。係員とは窓越しに、備え付けられたスピーカーとマイクでやり取りするようになっていた。どの窓口も、まわりの中国人が喧しすぎて、会話が困難な様子であった。
 

この日はオンシーズンだったので、チケットは旺季门票(オンシーズンチケット)で、1人40元(約640円)だった。长城までの上りは、徒歩かケーブルカー(缆车)になるが、ケーブルカーは片道だけで100元(1600円)もした。ゆえに、老人や障碍者、金持ち以外は、大抵歩いて登る人が多いようだ。

中国では都市部でも月3000元くらいしか稼げない人も珍しくないらし、公共バスが片道2元か1元の世界であるから、感覚的には片道10000円くらいに感じるのかもしれない。下りは徒歩とケーブルカーの他に、滑车(スライダー)と呼ばれるジェットコースターみたいな乗り物がある。これは片道80元(約1280円)だった。
 

とりあえず、興味本位で往路は缆车、復路は滑车に乗ることにした。チケット売り場では小さなマイクとスピーカーで係員とやりとりするようになっていたが、あまりにもまわりの中国人が喧しかったので、紙に「缆车单程2张、成人门票2张」と大きく書いて、100元札3枚を添えて渡した。2人で280元(約4,760円)だった。係員は何も言わず、チケットを素早く4枚差し出した。中国でチケットを買う場合は、紙に書いてやりとりする方法が無難で、間違いが起こりにくい。


缆车(ケーブルカー)乗り場は、チケット売り場から200mくらい離れた場所にあった。暇そうに巡回しているらしき警備員が、聞いてもいないのに、「乗り場はあっちだ」と場所を教えてくれた。
 
 

搭乗口前の広場では、八达岭长城を背景にして記念撮影をしたり、立ち話をしている集団がいた。オンシーズンとは言っても、ケーブルカーの料金が高すぎるからが、搭乗口は空いていた。とりあえず、トイレへ行っておくことにした。八达岭长城にもトイレはあったが、ここで行っておいて正解だった。
 

トイレの前には売店があった。このあたりの名産品らしき、干しイモやカシューナッツ、ドライフルーツ、果物のほかに、帽子、防寒着、ぬいぐるみ、双眼鏡、飲料水、肉まん、ソーセージ、ゆで卵、とうもろこしなどの軽食も売られていた。

靴も売っていたが、裸足で来る人や、靴がダメになるほど长城を歩き回った人が買うのであろうか、と想像した。こんなところで靴なんか買うやつはいるんだろうかと思ったが、スニーカーを熱心に品定めしているお婆さんがいた。
 

特に「北京酥」と書かれた袋菓子がイチ押しらしく、大量に面を広げて売られていた。タッパー入りの試食菓子が丁寧に置かれていたが、食べている人はいなかった。

夏場に登る場合は、事前にここで飲料水を2本くらい買っておくのが無難かもしれない。
 

ケーブルカーの搭乗口へは、ここから入るようになっていた。


チケットの隅に印字された、QRコードを改札のような機械にてタッチすれば、自動でゲートが開くようになっていた。中国の観光地ではよく見られる自動ゲートだった。ほとんど並んでいる人がおらず、スムーズに入ることができた。
 

2階に上がると、乗車待ちの行列ができていた。人相の悪い白人至上主義的そうな、典型的なおデブ体型のアメリカ人が、通訳らしき中国人とくっちゃべっており、前に進もうとしないため、皆イライラしていた。我々が前へ詰めるように優しくジェスチャーすると、豚男はキレた素振りを見せ、不機嫌そうに前へ進んだ。これは明らかにファストフードやジャンクフードの食い過ぎて添加物等で頭がイカレて肥えた、自己管理ができないけれど、何となく死ぬ前に1度はグレイトウォールに登っておきたいなんて思いついてやってきたキチ〇イだな、と思った。環境破壊的に太ったアメ公と同じ車両へ乗り込んで、荷重オーバーで奈落の底へ道連れになるのは御免こうむりたかったので、後ろの中国人に列を譲り、最後尾へ並びなおすことにした。
 

豚男が乗るのを見届け、我々は豚男が乗った車両から3つ後ろの車両へ乗り込んだ。6人乗りで、後ろに並んでいた老中国人3人が一緒に乗り込んできた。
 

こびとが怖いと怯えていたが、隣に座ったお婆さんも少し怯えているようだった。それゆえか、お婆さんには年齢を尋ねただけで、会話は盛り上がらなかった。 
 

車内からの眺めは中々良かったが、空が曇っていて、遠くまでは見渡せなかった。5分くらいで到着した。
 

ケーブルカーを降りたあとは、小さなトンネルを通って出口へ向かった。
 

トンネル出口の電光掲示板には、日付と時間のほかに、「今日は強風です。早めにお戻りください!」というメッセージが書かれていた。そういえば去年、真冬に僻地の长城へ行って、遭難死した観光客がいたらしい。
 

出口を出ると、遠くまで延々と続く长城が見えた。やっと来たかという感慨深さがあったが、広場にたむろして、猿のように飯を喰らっている中国人を観て、何となく感動が半減したような気がした。

左右どちらへ進むべきか迷ったが、とりあえず右へ行くことにした。かなりの人出だったが、ピーク時はもっと凄まじいことになるらしい。予想していたよりも階段の傾斜が急で、少し驚いた。よくもまぁこんなもんを作ったなぁと古代に思いを馳せてみたりするわけだが、やはり沢山の野暮な中国人をみると、すぐに現実に引き戻された。
 

大人でもヒィヒィ言っている上り坂を、まだ言葉もマトモにしゃべれなそうな子供がスパルタンに歩かされていた。一部の日本人が、ウェブ上で、「中国人の生存力はゴ〇ブリ並みだ」と揶揄することがあるが、確かに幼児期からこういう場所に連れてこられていれば、自然とタフな人間になれるかもしれないな、と思った。そういえば、中国の農村では小学校に上がる前の子供が農作業や家事を手伝うのは珍しくないらしい。日本でも最近は、アホな国会議員によるアホなゆとり教育で温室育ちの世代が出現したが、動物も人間も植物も、育つ環境によって、遺伝的な差こそはあれ、大きな変化を見せるものだ。
 

とりあえず、沢山の観光客が団子になっていた、このあたりで一番高い場所まで登ることにした。八达岭长城の西側は、この頂点で通行止めになっているようだった。

何とか登り切って、後ろを振り向くと、孫悟空のコスプレをした男が立っていた。特に何をするでもなく、スマホをいじっているだけの、つまらぬ男だった。
 

下りは急で、手すりをつかまりながら歩かないと危ない感じだった。ジジババがのんびり休憩しながら下りていて邪魔だったので、逐一追い抜いて歩いた。
 

下ってしばらく東へ歩くと、記念品を売っている輩がいた。八达岭长城の絵と、「私は长城に登りました」という文字が彫られたキーホルダーに、コードレスのリューターで、購入者の名前と登頂日を削って買わせる、という手口だった。以外にも喰いついて買っている人がチョコチョコいた。

ナマポや職が見つからずに悩んでいる日本人は、こういう中国人商人特有のドギツサを学び、富士山や高尾山の頂上にて、同様の手口で稼ぐのも良いのかもしれない。いや、中国人なら、すでにやっているかもしれない。

最近、中国のアリペイがローソンで使えるようになるとの報道があったが、そのうち日本でも微信支付が流行るようになるのかもしれない。中国では、1980年代まで電話さえまともに普及していなかったような状態から、今や日本の10年先を行っていると言われるくらいに、恐ろしく急速にIT産業が発展し、電子デバイスは今や世界最新レベルだ。

インフラに関しても、日本の高度成長期に比べると、数倍速い感じで発展している。やはり、主要各国が、中国を世界の工場としたことが急激な進化を促した大きな要因であろう。しかし、人件費の安さを求めて中国をよりどころにした代償は、もはや恩を仇で返すような具合であって、中国が日本の未来に良くも悪くも大きな影響を与えるような事態は、避けられないのかもしれない。未だに中国は日本よりも劣っているとか、中国はアホだとか根拠なく蔑み、井の中の蛙的に無関心になるよりも、今のうちに中国語を勉強しておいた方が、将来それなりのメリットを享受できる可能性は高いと思う。

キーホルダー屋から少し離れた場所にも、「签发好汉证书(好漢証書を発行します)」と書かれた、怪しさ250%の露店があった。好汉证书というのは、「不到长城非好汉(長城に来なけりゃ男じゃないヨ)」という、毛沢東の有名な言葉が描かれた石碑が元ネタで、「不到长城非好汉。我登上了八达岭长城(長城に来なけりゃ男じゃないヨ。私は八达岭长城に登りました)」と書かれた、店主のBBAが個人的に認定したと思しき証書を30元(約480円)で売っているのだった。日本円にしたら感覚的には2,000~3,000円くらいだろう。

きっと普段から女と間違われて困っているという男は、この証書を首からぶら下げて街を歩けば安心を得られるであろうから、30元など安いのかもしれないな、と思った。これはあくまで裸になったり、染色体の検査をしたり、身分証を提示しなくても、BBAが「この人は男の中の男です」と個人的に証明している証書であるから、間違っても女性やゲイなど、ソッチ系の人は買ってはいけない。なぜなら、この証書を持っていると男であることが公になってしまう可能性があるからである。

この店では、他にも登長城記念として、購入者の写真を入れたキーホルダー(钥匙扣)を25元、現像した写真(相片)を15~60元で売っていた。

中国の観光地では、ちゃんと案内板が設置してあることがほとんどで、初めて訪れても、迷うということはあまりない。乗って来た缆车(ケーブルカー)乗り場まではアップダウンが激しく、戻る気にはならなかったので、滑车(スライダー)乗り場まで歩くことにした。

途中に落書きだらけの壁をみつけた。「Ta永远在一起(Taと永遠に一緒)」など、だいたい臭い愛の落書きばかりだった。ここに記された「Ta」は「他(彼)」なのか、「她(彼女)」なのか、「它」なのかはわからない。きっとウ〇コやワンコ、コメッコなどではなさそうだから、彼氏か彼女のことを指しているのだろう。
 
アーチ状に石が積まれた見張り台は狭く、満員電車なみの人ごみで、通り抜けるのが一苦労だった。ここで、プラスチック製の、硬いストローのような柄のついた、小さな真紅の中国国旗を拾った。子供騙しのような安物の国旗だったが、観光地ではよく売られているものだった。中国の観光地ではこのような国旗を携帯しておいたほうが親中だとか、兄弟だとか、同志であると中国人に思わせることが可能であるから、危険な場面に遭遇する確率が下がるかもしれない。とりあえず、ミニ国旗はこびとに装備させることにした。

しばらく歩いていると、壁の隙間から熱心に写真を撮っているチベット僧を見つけた。彼らの隣で写真を撮ってくれと、こびとが駄々をこねるので、ミニ国旗を持たせて、親中を装って写真を撮ることにした。かつて、「Little Buddha」という英語しかしゃべらない偽チベット僧を寄せ集めた非現実的な酷い映画があったが、ここにいたチベット僧は本物のようだった。非現実的な映画に徹するならば、ネズミや犬や猫などの畜生が英語をしゃべるデズニーのような映画にすりゃあ良いと思う。
 

しばらく歩くと、やっとスライダーが見えてきた。延々と歩くことになったらどうしようと思っていたが、ケーブルカーからスライダーまでの距離はそんなに離れていなかった。歩いて15分くらいの距離だったと思う。
 

スライダー乗り場は閑散としていた。どうやら値段が高いのと、中途半端な位置にあるのとで、人気がない様子だった。 
 

チケット売り場のBBAはかなり無愛想で、100元札を2枚渡すと、クシャクシャになった20元札2枚と、チケットを無言で差し出した。
 

チケットのデザインは奇抜だった。左胸に「滑车公司(スライダー会社)」と印字された、青いポロシャツを着た男がスライダーに座り、カメラ目線で無表情に写っているというデザインだったが、どちらかと言えば不快なデザインだった。こういう中途半端な意図のデザインを刷ってしまう会社だから、客が集まらないのかもしれないな、と思った。
 

麓(ふもと)の終点から、戻ってきたばかりのスライダーが見えた。かなりボロそうで不安になったが、おもしろネタを手に入れるためには、後戻りはできなかった。

スライダー乗り場には、10人くらい並んでいた。「成人带孩子乘坐滑车(大人はこどもを抱えてスライダーに乗ること)」と書かれた看板があった。きっと見知らぬ子供が独りで並んでいたら、誰かが抱えねばならぬのだろうが、他人の子供を下手に触って怪我でも負わせたらDQNな親に賠償しろとたかられる可能性もあるし、ましてや子供を抱いていたら誘拐犯に仕立てられる可能性もあり、大いに危険だ。

近年、中国では路上に倒れていたババアを助けてやろうと善意で行動した人が、ババアに「こいつに怪我をさせられたんじゃ!」と訴訟を起こされたというような事例が、無数に起こっていたらいしい。そんなことがあったゆえか、大衆は街中で人が倒れていても助けようとしないで傍観したり、無視して通り過ぎたりする傾向にあったそうだ。

しかし、国がこれはいかんと思ったのか、最近になって法律が改正され、善意で行動した人は罰せず、被害にあった場合はそれ相当の保障をする、ということになったらしい。そうは言っても、中国では、やはりそういう場面に出くわしても、あまり関わらぬ方が賢明かもしれない。日本の某都市部でも、当たり屋行為で金をゆすり取ろうとするアホが増えているらしいが、全く恐ろしいことだ。

5分くらい待つと、係員らしきジジイの指示で、ジジイから告げられた番号の看板がある座席に座ることになった。一見すると安全帯的なバーが備え付けられており、ジェットコースターのようだったが、椅子自体がかなりガタついていた。ジジイは全員のバーが下りているのを確認すると、先頭の座席に座り、おもむろに発車した。

先頭の椅子に座るジジイが、ブレーキを操作して速度を調節していた。しかし、かなり急なカーブに入っても、ジジイがちゃんとブレーキをかけないため、バーから手を放したら山の斜面に放り出されそうなほど、スリリングな乗り心地だった。きっとエンペラー吉田のように手の親指を天に突き上げて乗ろうものなら、簡単に放り出されてしまうだろうな、と思った。何とかアイフォンで動画を撮り続けたが、手振れが酷くてマトモに撮れなかった。乗り物酔いしやすい人は、動画は観ない方が良いかもしれない。 
 

3分くらいで麓に到着した。スライダーの終着地点付近はまだ開発中という感じで、閑散としていた。

しかし、しばらく歩くと、土産物屋が軒を連ねているのが見えた。
 

ある土産物屋に人だかりができていたので、覗いてみることにした。いわゆる花鸟字とか龙凤字と呼ばれる、絵文字を描く店だった。日本では花文字などと呼ばれているが、実際には花とか鳥、草、魚、虫、山、水、龍などの図案を組み合わせたいわば絵文字であるから、原語のとおり「花鳥字」とか、「花鳥文字」と呼んだ方が適切だと思うが、こういうことにツッコミを入れる日本人はいないらしい。


店主らしきオバハンが、熱心に描いている様子を動画に撮っている中国人がいた。私も動画を撮りつつ、しばし眺めることにした。すると、我々を日本人だと察したらしき女店員が、予めパウチされた用紙を持って、忍者のような素早さで近寄ってきた。 

「ニホンゴデヤマグチモモエ」と言いながら、パウチを見せて土産にどうかと勧めてきた。パウチには花鸟字で「山口百恵」と描かれていた。きっとこの中国人は、日本ではとうの昔に、山口百恵が過去の人になっていることを知らぬのだろうな、と思った。

だいたい、この店はあまり花鸟字が上手くなかったし、そもそも私は花鸟字自体にアートな魅力を感じないもんだから、「いらない」と断り、その場を離れることにした。店員は中国人のわりに諦めの良い女で、いらないと言うが否や、サッと後ろに引っ込んでしまった。

だいたい、小学生の頃から絵画教室に通い、ムサビ出身の先生に師事しつつ、図工と美術の授業だけを楽しみに生きてきた私のような人間にとっては、アートの如何に対しては大そう敏感なもんだから、エセアートに関わる時間はまことに苦痛でしかない。最近は日本でも、過去の名作の模倣しかできぬ自称絵師やら、オリジナリティを履き違えたパクリデザイナーが増えているけれども、やはりそれだけ大衆の目がアホになっているのだろうと思う。
 

色んな土産店が並んでいたが、どこも似たり寄ったりの品揃えだった。そうは言っても、あまり馴染みのない商品を眺めてのんびりと歩くのは、中々楽しいものであった。
 

しばらく歩くと、熊を捕えて見世物にしているエリアがあった。聞くところによると、このあたりに出没する熊を保護して、観光客や村人が襲われないようにしているそうだ。日本でも最近は、山中で熊に襲われる人が年々増加傾向にあるが、見つける度に捕えて動物園でも作ってしまえば、人間も熊も危害が最小限になり、平和的に解決するかもしれない。
 

熊を威嚇して楽しんでいる中国人がおり、手前の熊は酷く興奮していたが、奥の壁際には壁際、かったるそうに座っている熊がいた。
 

山芋を加工したらしいソースが売られていた。中国語で「味見は無料」と書かれていたが、中国ではこういう類の商品が最も危なそうだから、買わぬようにしている。リピータ―を増やすために、ケシの実を入れていた飯屋が逮捕されるなんてのは日常茶飯事だが、儲けるためには中国人は何でもやりかねない。
 

やはり一番人気があるのは羊肉串らしかった。どこも6串10元(約160円)で、密かにカルテルを結んでいるのかな、と思った。
 

驴打滚(ludagun)が売っていた。北京や天津で名物になっている菓子で、由来はロバが蹴り上げた黄土をふりかけたような菓子であるがゆえに、驴打滚と呼ぶようになったそうだ。餡子入りの餅に、北方人のソウルフードであるキビと黄な粉をまぶしてあるのだが、何故か北京市中心部ではあまり売られていない。一応、スナック菓子として、個別包装にされたものは商品化されており、たまにスーパーなどで売られている。味は餡入りの黄な粉餅、という感じで、日本人には想像しやすい味だ。
 

しばし歩くと、また熊を捕えたエリアがあった。寂しそうに座っている熊がいた。
 

みな楽しそうに熊の写真を撮っていたが、エリア内がウ〇コだらけで汚かったのと、囚われの身になっている熊が哀れで、あまり見る気にならなかった。


ここが最後の土産屋かしらと思いつつ、何気なく店内を見やると、ヒマそうに座っている店主の後ろに、「寄存处」と書かれた貼り紙が見えた。「寄存处」というのは、「行李寄存处」のことで、「存包处」とも言ったりする。要するに手荷物預かり所のことだ。

中国人は儲けるために様々な副業を考えるが、土産屋が観光客の手荷物を預かったり、知り合いのタクシーを呼んで、そのマージンで小銭を稼ぐというケースは、よくあることだ。しかし、中身を抜かれたり、荷物を破壊される可能性もあるわけで、手荷物が無事に戻って来る保証はないから、預けない方が無難だ。特に八达岭长城のようにかなり歩かねばならぬような場所では、大きな荷物はホテルに置いておき、登山用のデイパックなどに最小限の荷物を詰めて登るのが無難だ。
 

出口を出て振り返ると、ここは熊園の入口と八达岭长城の出口を兼ねていることがわかった。
 

出口から少し歩くと、スライダー乗り場と「歩行登城」の入口があった。どうやら、ここからケーブルカーは乗れないようだった。この入口の横には、土産物屋と軽食を売る屋台が並んでいた。
 

どの店も羊肉串や、肉夹馍と呼ばれる軽食を売っていた。北京の中心部では1串4元もする羊肉串が、6串10元で売られていた。肉の多さは、北京中心部のそれの倍くらいあった。とりあえず、人相の良さげな店主に20元札を渡し、羊肉串を6串、肉夹馍を1つ買った。肉夹馍はあまり美味くなかったが、羊肉串は今まで食べた中で一番美味かった。
 

近くの案内板を見ると、ここから八达岭駅までは1.8kmもあり、アップダウンのある山道を歩くのは難儀である気がしたので、潔く公共バスで帰ることにした。


100mほど歩くと、正面にバス乗り場が見えたが、その手前の交差路にある大きな木の下で、偽バスへの強引な客引きをしている数人のBBAが見えた。正規のバス停は、交差路を右へ曲がったすぐの場所にあった。しかし、私は左折した先に何があるか確かめたかったので左へ曲がろうとすると、客引きのBBAが「あんたらどこへ行くんだ!バスはこっちだよ!」と叫び、我々を待機していた偽バスへ誘いこもうとした。BBAはかなりしつこかったが、我々が無視し続けていると諦めたのか、ついて来なくなった。結局、左の道の先は駐車場以外に何もなかったので、もと来た道を戻って正規のバス停へ向かうことにした。


先ほどの客引きBBAは別の観光客に絡んでいたため、その隙に通り過ぎて難を逃れた。どうやら偽バスのBBAはみな一様に、赤やピンク、花柄のキャップを被り、ウエストポーチを装着して、小さな中国国旗を手にしていた。私は日本を発つ前に、中国のネットで偽バスに乗ってしまい、ボッタくり被害にあったという中国人の投稿を見ていたから警戒していた。確かに、今も偽バスが実在していたようだった。
 

この看板がある場所が、正規の877路の公共バス乗り場だった。運行時間は16:30または17:00までと記されていた。以前、河北省張家口市郊外の长城へ行った日本人ツアー客が、大吹雪にあって遭難、死亡したという事件があったが、八达岭长城のような整備された长城であっても、冬季や、帰りが夕方以降になるような時間帯に登城することは避けるのが賢明だ。何せ、最も観光地として整備されている八达岭长城でさえ、ちょっと離れたら何もないくらいの僻地だし、山間部ゆえに天候の変化が急で、大雨や大雪に遭うこともあれば、野生の熊や野犬に襲われる可能性もゼロではないから、午前中に行って昼前か昼過ぎに帰るのが無難だろうと思う。
 

5分くらい待つとバスがやってきた。待っていた人は数人であったが、あっという間に満席になった。前の方に並んでいたため、補助席にならずに済んだ。乗車が済むと、すぐにバスが動き出した。ちょうど12:00を過ぎたころだった。走り出してしばらくすると、添乗員のオバハンがアナウンスを始めた。

バス代の支払いは現金または一卡通のみで、一卡通を使う人は添乗員に渡してくれ、と言った。オバハンは前の列から順に一卡通を集め、機械にタッチさせて乗客に一卡通を返す、という動作を繰り返していた。客は座っているだけで良かったので楽だった。以前は、一卡通の下3桁の番号を覚えておけと乗客に無理強いするやり方だったらしい。今回のやり方だと、番号は覚えずに済んだので安心した。運賃は6元だった。
 

車内では、先頭に備えつけられたテレビでドラマを流していた。しかし、電波を使ってドラマを受信しているせいか、受信状態が悪く、マトモに観られるような映像ではなかった。それに、大して面白くなかったので、外を眺めていることにした。高速道路の横には線路が並走しており、动车が並走しているのが見えた。动车というのは、高铁よりも低速で走る高速列車のことだ。动车は時速160~250km程度、高铁は時速250~380km程度で走るという区別があるらしいが、実際の運行速度の違いはよくわからない。しばらくはバスの左側を、ポルシェのカイエンも並走していた。 
 

しばらくは外を眺めていたが、疲れていたのか、いつの間にか寝ていたようだった。バスの窓枠がガタガタする音で目が覚めた。窓のガラスは日本のバスのように隅をコーキング剤で埋められていたが、処理が雑なためか、窓枠がガタついていた。日本のバスの方が遥かに作りが良いようだった。日本と同じように、ETCと記された料金所があった。
 

高速を下りると、一般道に入った。道は比較的空いていたが、街路樹の胞子がたくさん飛んでいるのが見えた。どうやら、街路樹がほとんど植えられていない八达岭付近では胞子は飛んでいなかったが、街路樹の多い北京市中心部では沢山の胞子が飛んでいる様子だった。日本の某芸能人は、この胞子を見て雪だとか謎の公害物質だとか騒いでいたらしい。本当に無知というものは恐ろしいことだ。特に有名人であれば、ツイッターなどで嘘の情報を瞬時に拡散させることが可能であるから、意図せず大衆をあらぬ方向へ扇動してしまうこともあるかもしれない。
 

立てつけの悪いバスはガタガタと窓枠が鳴る音で喧しかったが、こびとはすでに眠っていた。私も何度か断片的に寝ていたようだった。他の乗客もみな长城に登って疲れていたらしく、あちらこちらから、寝息が聞こえた。結局、1時間30分くらいノンストップで走行し、徳勝門駅近くの橋の上で降ろされた。バスを降りたあと、どちらの方角へ行けば良いかわからなかったが、とりあえず乗客が歩いてゆく方向へ行ってみることにした。

駅の入口はバスの降車場から500mくらい離れた場所にあった。バスで长城へ行くのも悪くはないなと思ったが、やはり安全面では列車の方が良いのかな、と思った。
 

徳勝門駅から地下鉄に乗り、王府井へ行くことにした。もうすぐ13:30になるところで、アイドルタイムだからか、構内は乗客が少なく、ガランとしていた。3分ほどで電車がきた。 
 

車内に備え付けられた液晶モニターでは、ドラマが放映されていた。日本の電車内ではCMばかりで退屈だが、最近の北京の地下鉄ではドラマやアニメを流していて、暇つぶしになってよろしい。
 

王府井駅に着いて、電車を降りるや否や、車内からハーモニカの音が聞こえた。振り返って車内を見やると、いつもの乞食親子を発見した。70歳くらいのBBAが50歳くらいの全盲を装った息子らしき男の手を引き、乗客に金をせがむのだが、毎回息子が哀愁漂うハーモニカを吹き鳴らしているため、通り過ぎる時にみな振り向くようだ。私は、この全盲を演じている男が、健常者同様に目を見開いて歩いている姿を目撃しているから、BBAと遭遇するたびに写真や動画を撮って注意喚起を促しているが、騙されて金をむしり取られている観光客は一向に減らないらしい。

北京では乞食や障碍者を装った、この手の詐欺が日常的に見られるが、もし金をせがまれたとしても、1元もくれてやらない方が良いだろうと思う。ちなみに、この親子は、主に観光客の多い地下鉄1号線を縄張りにしている。これまでは夕方以降に活動しているのかと思っていたが、今回の遭遇で、どうやら真昼間からやっているということが判明した。

最近は日本でも、駅前で災害支援やチャイルドスポンサー、ペットなどをネタにした怪しげな募金活動がお盛んであるが、人の博愛心を逆手に取った募金活動が、ビジネスの1つとしてまかり通っていることはすでに周知のとおりである。

先日も新宿駅南口で、4人の大学生らしき若者が熊本地震の災害援助、募金をお願いしますと、迷惑なくらい喧しく騒いでいた。お前ら本当に援助したいと思うなら、江頭2:50のように潔く、アコムなどで1人50万円借金をして、200万円分の支援物資をトラック一杯に詰め込んで熊本まで行き、しばらくの間、大学を休学して現地で救援活動にでも参加したらよかろう。まぁ、真昼間から、ロクに働きもせず、生産性の無い、怪しい募金活動をしている輩には、本当の博愛心なんてないのかもしれない。 
 

王府井はいつもどおりの人出だった。ここは北京の銀座と呼ばれているだけあって、いつ来ても人が多い。とりあえず、王府井書店へ行くことにした。


子供向けの本が多い売り場は、週末になると、もはや無法地帯で、座り込んで子供に本を読み聞かせている客が邪魔でしょうがない。 王府井書店には文房具売り場があり、筆の試書きができるコーナーがある。こびとが書いてみたいと言って、試書きをした。こびとは書道をしていたせいもあり、中々うまい字を書いた。書き終わったあと、水で書けば文字が消えるという紙が欲しいと言ったので、とりあえず10枚入りのやつを買った。やはりこういうものは日本で買うより、北京で買った方が安いようだった。
 

王府井書店で何冊か中医・針灸関係の本を買ったあと、王府井をブラブラ歩くことにした。
 

王府井書店のすぐ横にある横断歩道は、去年あたりから両端に係員が立ち、可動式の柵が設けられた。この横断歩道は凄まじく人が多い上に、そのほとんどが信号無視をするような状況であったから、赤信号になると係員が笛を吹いて柵を閉じ、歩行者を強制的に締め出すようになった。なだぎ武が扮したディランのような風貌の中国人が、歩行者をかきわけて、自転車で無理矢理通ろうとしていた。
 

横断歩道を渡ったすぐの場所にあるビルの1階では、何某かのストライキをやっていた。20人くらいの人が、ただただ無言のまま、何か書かれた白い紙を掲げて立っていた。紙には、「工美用国礼圈钱,还钱!(北京工美集团は国宝を金に換えている。金を返せ!)」などと記されていた。どうやら、このビルで売られている工芸品は買うな、と観光客に訴えている様子であった。

このビルは王府井工美大厦と呼ばれており、伝統美術工芸品を扱う、国内最大の老舗店らしい。1階から9階まで工芸品が展示販売されていて、“中国工艺美术第一店”と呼ばれているそうだ。一体どういう経緯で、どういう素性の人がストライキしているのかはわからなかったが、最近は北京や上海でもこういう小規模のストライキはよく見かけるようになった。
 

先ほど通り過ぎた店で、北京の名物である冰糖葫芦(水飴菓子)を買うことにした。山楂(サンザシ)が定番だから、とりあえず山楂と苺のやつを1本ずつ買うことにした。店主のジジイはかなり無愛想で、私が値段はいくらかと聞くと、「山楂は10元、草苺は15元」と吐き捨てるように言った。中国のこういう店は値段を提示してないことがほとんどだから、まず値段を聞かねばならない。それなら最初から値段を書いておけよと思うが、何故か書いていない場合が多い。きっと観光客からボッタくる意図もあるのだろう。
 

昔、N〇Kの中国語番組で、ローラチャンが冰糖葫芦を食べて、「非常好吃!(すごく美味しい!)」と言っていたもんだから、きっとすごく美味いのだろうと想像していた。ゆえに、いつかは食べてみたいと思っていた。しかし、残念なことにクソ不味すぎて、少しかじって捨ててしまった。やはり、有料放送のくせに、聴きたくもない下手くそな素人のカラオケ番組を、真昼間から放映し続けるようなNH〇は信用ならぬ。

サンザシは中心部が腐っていたし、苺は中身がスカスカで、ジューシーさも甘さも皆無だった。どうりで、ここの店主のジジイは悪相なわけで、こりゃ騙されたな、と思った。こんな商売していたら、きっとあの無愛想なジジイは多くの人の恨みを買い、往生要集的な世界へまっしぐらだろう。慈悲深い私は、心の中で「あのジジイが地獄に落ちますように」と、合掌した。
 

しばらく王府井をブラついたあと、中国銀行で両替して、今夜泊まる北京丽亭酒店へチェックインすることにした。


王府井には2つの中国銀行があるが、王府井駅近くの支店はいつも混んでいるから、金魚胡同の交差点にある支店へ行くようにしている。ここだと、いつも待ち時間なく両替できるから楽だ。
 

王府井から金魚胡同を東へ歩き、金宝街との交差点を過ぎると、すぐ左奥に北京丽亭酒店が見えてくる。今回もフリーツアーだからホテルはすでに北京旅居华侨饭店に決まっていた。しかし、こびとがたまには別のホテルにも泊まってみたいと言ったので、4つ星ホテルで比較的良さそうな北京丽亭酒店を、1泊だけお試しで予約しておいた。エクスぺディアで1泊12,000円くらいだった。
 

ホテルの隣には、マセラティなどの高級外車を扱うディーラーがあった。このビルの3階には美味いと有名な利苑酒家というレストランがあるが、今回は行くヒマがなかったので、次回の楽しみとすることにした。
 

高級ディーラーの前には長細い池のようなスペースがあったが、電流を流しているらしく、「DANGER」と書かれたステッカーが貼ってあった。だいたい中国にある人工的な池は、風水的な仕掛けであったり、単純に景観を良くするために噴水を出したりするものだが、どうもこの池はその何れでもなく、異様な感じだった。

何を意図してこのスペースを作ったのかわからぬが、通路と池の境目にほとんど段差がなく、柵もないから歩行者が池に落ちる危険性が高そうだった。池には電流を流していたから、あえて防犯対策で犯罪者を突き落すためのスペースとして、この池を設けたのであろうか、と想像した。この辺りには高級ブティックが軒を連ねているし、数千万は下らない高級車のディーラーがあるから、ちょっとでも怪しい輩がいたら、とりあえず警官が来るまでこの池に突き落としておくのかもしれない。電流の強さによっては感電死するだろうが、死なない程度に調節していあるのだろうか、全く中国は恐ろしい国だな、と思った。 
 

ホテルはハッキリ言ってクソだった。通常、どこのホテルでもチェックイン時はパスポートを提示し、「我们已经顶好了(すでに予約済です)」と言えばそれでお終いだ。しかし、フロントにいた若い女は、私がこれまでネイティブに問題なく通じた中国語を使っているにも関わらず、下手くそな英語を早口で一方的にしゃべり続けた。高校時代ですでに英語の偏差値が86あった私でも聞き取れぬような発音をするものだから、かなりイライラさせられた。

さらに、自意識過剰な受付の女は、自分はインドネシア人だなどと聞いてもいないことを言い、私が英語では応じずに中国語でしゃべり続けると、女は諦めたのか中国語でしゃべり出した。しかし、女は中国語の発音も下手くそな上に早口で聞き取りにくく、とにかく不快に尽きる女だった。こんなにチェックインに時間がかかり、麻烦に感じたのはこれが初めてだった。

このホテルが位置するエリアは、金持ちの欧米人が泊まるホテルが多いため、英語を話せる従業員を雇っているのだろう。しかし、このホテルでは、英語も中国語もマトモにしゃべれない輩がフロントで受け付けをやっていても、何とも思っていないらしかった。チェックインして早々、こんなホテルには2度と泊まるもんか、と思った。

以前、中国語教育で有名な某氏が著書の中で、某パーティーの際に、独学で長年中国語を学んだと言う得意げな日本人ジジイに、下手くそな中国語で話しかけられたことがあったそうだ。しかし、氏は、ジジイが何を言ってるのか全く理解出来なかった、と述懐している。よくありがちな話だが、自意識や自己顕示欲だけが異様に強いようなアホが独学でマスターしたという外国語を披露した場合、往々にして早口で発音が悪く、聞き取れないことがある。

つまりは、己が話す外国語が下手くそであるということに気が付いておらず、発音が正確でないのに得意げに早口で話すもんだから、全く救いようがない。そういう輩を、いわばホテルの看板であり、宿泊客との関わり合いが最も強いフロントに配置するとは終わっていると思ったりするが、まぁ2度と泊まることはないだろうから、今回は我慢しようと思った。
 

部屋はまぁまぁの雰囲気でそれなりに綺麗だった。しかし、ドアが異常に薄く、下の隙間が大きいため、廊下にいる人の声が聞こえてうるさかった。ドアは建具としては比較的高いから、ケチってドアを安いものにしているのだろうか、と思った。
 

しばらく休憩して、微信支付が使えるようにするため、まずは携帯電話のSIMを購入しに行くことにした。ホテルから歩いて3分くらいの場所に、HUAWEIの直営店らしき店があった。店員に「SIMカードが欲しいが、日本バージョンのHUAWEIでも使えるか?」と聞くと、店員は反日なのかやる気がないのか、はたまたその両方なのか、「隣の店へ行け」と言った。

仕方がないので隣の店へ行き、再び同じ質問をすると、店の中にいた店員が全員寄ってきて、おそらく日本で買ったHUAWEIだと中国のSIMを差しても使えぬのではないか、と議論し始めた。しばらく店員は話し合っていたが、どうにもならぬと判断したのか、通りの向こう側にある建物を指さして、「中国联通へ行け」と言った。どこにあるのかわからぬから私が「どこだ」と言うと、店員は「紅色(赤色)の看板のところだ」と言ったが、指さす方向にはオレンジの看板しかなかった。
 

おかしいなと思って私がキョロキョロしていると、痺れを切らした若い女性店員が「オーレンジ!」と下手くそな英語で叫んだ。最初から中国語でオレンジ色と言えばいいだろうが、と思ったが、とりあえず店員の言っている場所がわかったので、そこへ行くことにした。もしかしたら中国でも、橙色を赤色と言ったり、緑色を青色と言うことがあるのかもしれない。日本でも青信号を緑だと言う人がいるのと同じ理屈なのだろうか、と思った。
 

中国联通は中国政府が作った会社だ。日本で言うところのNTTとドコモやKDDIみたいな大手のキャリアをちゃんぽんしたような会社で、ここへ行けば外国人でも中国国内で携帯電話を使えるようになるとのことだった。入口の場所がわかりにくく、裏口から入ってしまったが、特に問題はないようだった。

 

中国联通の入り口をくぐり、薄暗い売り場を徘徊していた店員に要件を告げると、そこの受付へ行けと言われ、整理券を渡された。私の前には6人の客が待っていたが、半分くらいは外国人だった。時刻は16:37だった。何とか営業時間内にSIMを入手できそうで、安心した。ベンチに座り、こびととミレービスケットを食いながら30分くらい待っていると、ついに私の番号が呼ばれた。基本的に中国ではどこで何を食っていても文句は言われないから、気が楽だ。

事前に私の目の前で手続きをしていた初老の白人男性を見て手順を確認していたから、手続きは比較的容易いだろうと予想した。受付のオバハンは無愛想だったが案外親切で、まずは私が持っているHUAWEIが使えるかどうか、「ちょっと試してみよう」と言った。オバハンは自分のi-phone6からSIMを抜き出し、それを私のスマホに差し込んでくれた。私のスマホは操作画面が日本語になっていたから、オバハンは操作方法がわからぬと言って、私にスマホをつき返した。

機内モードになっていたために通信できぬようで、機内モードをオフにすると、すぐにチャイナユニコムの電波に切り替わった。さっきの店の店員は使えぬと言っていたが、どうやらSIMさえ用意すれば使えるようだった。

HUAWEIはデュアルSIM対応だから、日本のSIMを差し込んだまま中国のSIMも使えるようになっている。これでSDカードも差し込んだままに出来れば便利だと思うが、残念ながら私のモデルはそういう仕様にはなっていない。とは言ってもi-phoneに比べたら融通が利いて遥かに使いやすい。

中国のSIMはプリペイド式であるから、日本の電話会社のように高額請求が来ることもないから安心だ。電話番号はオバハンが提示した10個くらいの番号から、中国人風に縁起の良さそうな番号を選んだ。パケットサイズは一番小さいやつを選んだが、SIM代と手数料を含めて100元(約1600円)だった。これで電話が使えるなんて安いものだと少し感動した。手続きには何だかんだで1時間くらいかかった。途中で何度もオバハンが奥の事務所へ出たり入ったりしていて怪しかったが、とりあえずはパスポートを見せて、泊まっているホテルの住所を伝えるだけで、SIMを入手することが出来た。契約時には開いたパスポートを自分の胸のあたりに掲示して、証明写真を撮られた。
 

帰りは正面出口から出ることにした。全く印象の薄い入口だったが、もはや無事にSIMを入手できた嬉しさで頭がいっぱいだったから、入口がわかりにくかろうがどうでも良かった。ホッとして、「あとは明日、帰国前に銀行へ行って、口座を開設するだけだな」とこびとに言った。外はいつの間にか薄暗くなっていた。


中国联通を出たあとは、灯市口駅から北新桥駅へ行き、一旦、北京旅居华侨饭店へ戻ることにした。王府井で買った本を、今回の拠点である北京旅居华侨饭店へ置いておく方が、後々動くのが楽なのだ。灯市口駅前では、怪しい手机支架(自撮り棒)を5元(約85円)で売っているジジイがいた。最近はこういうゲリラ的な店で、スマホやタブレットのフィルム貼りをするのも流行っている。ちなみに、中国語では自撮り棒のことを自拍神器とも呼ぶ。
 

北新桥駅に着いたら、7~8分くらい歩けばホテルに着く。途中、雍和宫大街沿いに鲍师傅糕点という洋菓子店があるのだが、いつも行列していて、どんな味なのか気になっていた。とりあえず北京旅居华侨饭店へ戻って本を置き、ちょっと一休みしてから買うことにした。
 

胡同にある怪しい旅館の看板の下には、見覚えのある字体でSHIMANOと書かれていた。シマノと言えば釣り道具か自転車のギヤを思い出すが、なぜ旅館の看板にシマノの文字が記されていたのかは謎だった。
 

しばらく歩くと、明らかに偽物らしきスヌーピーの布が貼られた板が捨ててあったり、変なマスクをした女が歩いていた。 
 
胡同には沢山の柳が植えられており、春になると沢山の胞子が舞う。この日も酷いくらい飛んでいて、マスクをしていないと鼻の穴に胞子が飛び込んでくるくらいだった。柳の綿の乱舞のことを中国語で「柳絮飘(liuxupiao)」と言うが、最近は上海あたりでも同様に酷いと、友人S氏の嫁が言っていた。滅多にマスクをしない中国人でもマスクをするくらいだから、感覚的にはかなり酷い。

北京市内には、胡同を中心に沢山の街路樹が植えられている。主に植えられているのは北京市の市樹に指定されている槐树(huaishu、エンジュ)や杨树(yangshu、ハコヤナギ)、柳树(liushu、ヤナギ)だそうだ。これらの木が春に飛ばす、白い綿状の種子のことは杨花(yanghua)とか柳絮(liuxu)と言う。「絮(xu)」というのは綿毛のことだ。
 

北京市では1980年頃から杨柳の植樹が開始され、現在ではハコヤナギは約350万本、ヤナギは約150万本も植えられているそうだ。近年、成熟段階に至った木々が次々と綿状の種子を飛ばすようになり、市民の生活を脅かすようになってきた。そんなわけで、市民の悩みのタネとなっている飞絮问题を解決すべく、北京市は杨柳飞絮抑制剂として、2009年頃から、雌株に綿毛を抑制する薬液である 「抑花一号」 を注射するようになったらしい。要するに種子の発生を抑える、木の避妊手術みたいなモノだ。しかし、本当に綿毛の舞う量が減っているのかは謎だ。
 
そうは言っても、中国の北方では緑化の一環として木が必要だから、伐採することはできないらしい。特に、ヤナギの類は黄土でも育ちやすく、緑化以外にも防砂、防風の役目も果たし、家畜のエサとしても利用できるため、中国では古くから、広く植林が進められてきたそうだ。貧しい農家では、ヤナギの葉を食べて飢えをしのいだという話もあるから、一応人間の食糧にもなるらしい。
 

ホテルに着いて、じゃがりこを食いながら一服していたら、いつの間にか外は日が暮れていた。
鲍师傅糕点はまだ行列していた。時刻は18:45を過ぎた頃だった。とりあえず行列に並んだ。
 

鲍师傅糕点のとなりは、カフェだかバーのような雰囲気の店があり、白人が多く出入りしていた。何故か、ゲイらしきカップルが多かった。もしや、ここは北京のハッテン場なのだろうか、などと考えた。ちなみに北京では、レズビアンらしきカップルもよく見かける。

店内でイチャついている男のカップルをチラ見しながら、高校生の頃は「さぶ」というゲイ雑誌を発見して衝撃を受けたものだ、などと回想していると、いつの間にか我々の順番がやってきた。こびとがヒマそうにしていたので、ショーケースに並ぶ商品の写真を何枚か撮ってもらった。
 

 
人気らしい商品を適当に注文することにした。红豆沙蛋黄(6元/個)と、酥流心芝士塔 (8元/個)を2個ずつ買った。レジにはマスクをした、中肉中背の男の店員がいて、ひたすら無言で機械のように働いていた。奥にいた3人の店員も、何かに憑りつかれたかのように、セカセカと働いていた。
 
店員は商品を手際よく袋に放り込むと、鲍师傅糕点と印字された、半透明の粗末なビニール袋を差し出した。やっと買えたと思って振り返ると、外野でこの店を眺めていた40代半ばくらいの浅黒いオッサンが、さも恥ずかしそうに、「この店のおススメは何だ?」と聞いてきた。私も初めて買ったばかりで、おススメなどわからぬので「知らない」と答えると、オッサンは残念そうな顔をした。


北新桥駅から再び地下鉄に乗った。夕食を食べる前に王府井駅へ行き、お土産にするジャスミン茶を買っておくことにした。王府井に着くと、すでに空は真っ暗だった。
 
 

ジャスミン茶は、いつも王府井の张一元で買うことにしている。店員が比較的親切で、店内の雰囲気も明るいからだ。それに、何よりここで売っているジャスミン茶の香りは素晴らしいし、ついでに店員と顔見知りになっておいた方が後々楽だろう。日本では、中国産の食品をお土産にすることは疎まれることが多いが、ここの茶であれば喜ばれるかもしれない。
 

店内には様々な種類の茶葉が並べられているが、张一元はジャスミン茶が有名で、茶葉の種類もジャスミン茶がその多くを占めている。茶葉のグレードは様々で、最高級のジャスミン茶は50gで6,000元(約102,000円)もする。最高級グレードの西湖龙井茶(狮峰、明前)においては、50gで8,800元(約149,600円)もするらしい。中国の物価でこの価格だから、日本で売ったら相当な値段になるだろう。暇そうにしていたオッサン店員に頼んで、冷蔵庫に入っていた、開封済の最高級ジャスミン茶の香りを嗅がせてもらったが、数百元の中級ジャスミン茶との違いは、明確にはわからなかった。

以前、龙井村へ行った時に、最高級の狮峰龙井茶の明前モノを買ったことがあるが、あの時は50g220元(約3,300円)だった。当時はボッタくりかと思ったが、今考えれば、それでもかなり安い卸売価格だったのかもしれない。味はどうかと言われれば、個人的には緑茶は安い日本茶でも満足できるタイプだから、最高級品であってもあまり味の違いがわからなかった。そもそも、日本茶はジャスミン茶ほど香りに特徴がないから、低級も高級も区別がつきにくいのだろうと考えている。きっと最高級の狮峰龙井茶と日本茶を飲み比べしても、明確に区別できる人は稀だろうと思う。まぁ私でもハッキリとわかるのは、苦みの違いくらいなもんだろうか。 中国では、西湖龙井茶は乾隆帝に献上されていた緑茶として有名だからか、根強い人気があるようだ。
 

ちなみに、中国での茶葉の販売は、基本的に一两(50g)単位だ。龙井茶は主に茶葉を摘み取った時期と産地でおおまかなレベル分けがなされているが、時期だけで言えば、明前茶が最高だ。明前茶というのは、清明節前に取った若い茶葉のことで、龙井茶においては最上級グレードにあたる。また、産地で言えば、龙井茶は狮峰と呼ばれる場所で採れた茶葉が最高であり、明前茶かつ狮峰産の龙井茶が最高級品として店頭に並べられることが多い。それにしても、50g15万円もする茶葉を誰が買うのだろうかと思ったりするが、中国には世界的にもトップクラスの富豪がいるし、中国人の成金は概して見栄っ張りであるから、そういう人が買うのかもれない。
 

お土産には店頭に積まれていた、新商品を買うことにした。店員のオバハンが言うには、何某かの金賞を取ったとのことで、値段のわりに「挺好的(なかなか良いよ) 」と言うから、オバハンを信じて買うことにした。1缶200元(約3,400円)だから、6000元の茶葉に比べれば激安だけれども、あくまで中国の物価でこの価格だから、日本の物価に置き換えたら、まぁ少なくとも1万円前後はするだろう。新宿伊勢丹のデパ地下で売ったら、きっとバカ売れするかもしれないな、と思った。
 

王府井でお茶を買ったあとは、前门の花马天堂云南餐厅という店で夕食をとるため、再び地下鉄に乗った。本当は去年、花马天堂へ行く予定だったのだが、自宅でプリントアウトしておいたGoogleMapの示した店の位置が間違っていて、辿り着けなかったのだった。中国ではGoogleの使用が規制されているため、実際に行ってみたら地図と違っていた、というのは良くあることらしい。だから、中国国内では百度地図を使うのが賢明なのかもしれない。ちなみに現在では修正されたのか、GoogleMapでも花马天堂の位置はある程度正確になっているようだ。
 

花马天堂は前门駅を正陽門側に出て、毛主席記念堂を左に見ながら前门东大街を東へ3分ほど歩くと、左側にみえる前门23号という敷地内にある。元々ここには、アメリカ大使館があったそうだ。

以前、上海へ行った時に、友人S氏に外滩の花马天堂へ連れて行ってもらったのだが、そこで出された料理がとにかく美味かったので、1度北京の支店へ行ってみよう、とこびとと話していた。
 

前门23号には他にも店が入っていて、ジャズライブで有名なBlue Noteもある。ウェブサイトを見た限りでは、チケット代は割高だったが、東京よりもミュージシャンのレベルが高そうで自分好みだった。ちなみに、画像右上に光って見えるのは毛主席記念堂だ。夜になると眩しいほどにライトアップされており、少し離れた前门23号も照らすほど明るかった。
 

花马天堂の外観はこんな感じだった。外滩店と同じで、営業しているのかしていないのかわからないくらい薄暗い雰囲気だった。
 

店内の装飾は外滩店とほぼ同じだった。21時を過ぎた頃だったが、土曜日にも関わらず、先客は2組しかおらず、店員が暇そうにしていた。前门大街は21時になるとほとんどの店が閉まってしまうし、官公庁が近いエリアだから、21時以降は客足が激減するのかもしれないな、と思った。この店の営業時間は11:30~22:00までだそうだ。
 

我々は窓際の席に通された。他の客と離れた席で安心した。北京では広い店内で空いていると、好きな席を選ばせてくれることが多い。一方、日本の飲食店では空いていると、客を同じテーブルの近くに集めようとすることが多く、狭苦しい雰囲気かつ不快な気分で食事するようになることが珍しくない。きっと店員のオペレーション上の都合を優先して、客を同じスペースに配置しようという魂胆なのであろう。しかし、特に都心部の飲食店はテーブル同士の間隔が極限まで狭められており、例えば吉祥寺の某飲食店などは隣の客と肘が擦れ合うくらい狭いもんだから、他人と相席しているような感じになったりして、飯を食っていても落ち着かないことが多い。

だいたい、副交感神経が優位になるような落ち着いた雰囲気で楽しく食べることが最も消化には良いわけであるが、経営者も店員もそういう重要なことに気が付いていないケースが多く、店内が空いていても客に好きな席を選ばせない、ということは日本ではよくあることだ。中国は国土が広いこともあり、飲食店内のテーブルの間隔はゆったりしていることが多く、店員も好きな席を選ばせてくれることがほとんどだから、ストレスなく食事できることが多い。

中国のレストランはテーブルに皿とスプーンが先に用意されていることがほとんどだ。北京の簋街などでは予めコップ、小皿、箸がラッピングされた状態でテーブルに用意している店が多いが、あれは食器の洗浄、ラッピングを行う専門の業者によるものらしい。店側は毎日、使用済みの食器を大きな四角いプラスチックの箱に入れておき、業者が来たら新たに洗浄、ラッピングされた食器と箱ごと交換する、という手順らしい。日本で言えばおしぼり業者みたいなものだが、特に北京は凄まじいくらいに飲食店が多い上に客も多いから、こういう隙間産業的な業態が成り立つのであろうと思う。だいたい、こうやってラッピングせずに皿を並べている店は、自前で洗っているのかもしれない。
 

中国のレストランはテーブルに皿とスプーンが先に用意されていることがほとんどだ。北京の簋街などでは、予めコップ、小皿、箸がまとめてラッピングされたモノをテーブルに用意している店が多いが、あれは専門の業者によるモノらしい。つまり、店側は毎日、使用済みの食器を大きな四角いプラスチックの箱に入れておき、業者が来たら新たに洗浄、ラッピングされた食器と箱ごと交換する、という手順らしい。日本で言えばおしぼり業者みたいなものだが、特に北京は飲食店が乱立している上に客も多いから、こういう隙間産業的な業態が成り立つのであろうと思う。だいたい、こうやってラッピングせずに皿を並べている店は、自前で洗っているのかもしれない。とりあえず、外滩店で食べて美味しかったメニュー数種と、飲み物を注文した。メニューは外滩店と全く同じだった。
 
 

注文した品が運ばれてくるまで、暇つぶしに、発行されたばかりの新札と旧札を見比べてみることにした。ホログラムの偽造は難しいと言われているためか、新札ではホログラム部分が増え、色の変化の仕方が改良されていた。しかし、やはり紙幣の質感は日本銀行のものには敵わないな、と思った。
 
 

同じメニューを食べても、外滩店の方が美味いと感じた。おそらく細かい調理法やレシピが店舗間で共有できていないのかもしれないな、と思った。それくらい味が違った。店員のサービスは外滩店と同じような具合でまぁまぁ良かったけれども、味がイマイチで残念だった。
 

テイクアウト用に多めに注文したので、余った分は容器に入れてもらった。中国では食べられなかった分を持ち帰りするのが一般的で、多くの店はビニール袋にそのまま料理を投げ込むケースが多いが、最近は、比較的高級な店ではちゃんとした容器と紙袋にいれこして渡してくれる。
 
 
夕食を済ませたあとは、駅に戻り、地下鉄に乗ってホテルへ帰ることにした。前门駅前の地下街には、ギターで弾き語りをしている男や乞食がいることが多いが、この日は針金細工の工芸品らしきモノを売っている男がいた。30代くらいのカップルが熱心に品定めしていた。
 

夕食を済ませたあとは、駅に戻り、地下鉄に乗ってホテルへ帰ることにした。前门駅前の地下街ではいつもギターで弾き語りをしている男や乞食がいるが、この日は針金細工の工芸品らしきモノを売っている男がいた。30代くらいのカップルが熱心に品定めしていた。
 

駅に着くと、ちょうど22時になるところだった。前门駅周辺は21時を過ぎるとほとんどの店が閉まってしまうためか、駅構内は閑散としていた。3分ほど待つと、電車がやってきた。
 

電車に乗ってしばらくすると、乞食BBAが現れた。本当に北京の地下鉄は、ロマサガのガレサステップなみにモンスターとの遭遇率が高い。今後、車内では常にロマサガのフィールド曲をBGMとし、プロ乞食が現れる度に戦闘曲を流して、ファイナルストライクや飛翔脳天撃でも食らわせてやったら、車内に平和が訪れてよろしいかもしれない。左利きの人はレフトハンドソードをご利用ください。

ちなみに、この乞食BBAはよく見かける。最近はBBA乞食もハイテク化していて、この日はヘッドセットを装着して、腰からぶら下げた小さなスピーカーから「どうか金を恵んでくだせぇ」と、今にも死にそうな声を絞り出していた。乗客はみな怪訝そうな顔や、煙たそうな顔をしてBBAを避けていたが、サラリーマンらしき男が渋い顔をしながら、ポケットからクシャクシャになった1元札を出して、BBAに渡していた。

そもそも、乞食は道端に座り込み、目の前を通り過ぎる人々に「どうか御慈悲を」という、謙虚的かつ受動的に金を集めるのが本来のスタイルなはずだ。ただ坐しているだけでは金をもらえぬと悟った乞食が、音楽を演奏したり、大道芸のようなパフォーマンスをすることで能動的に集金するスタイルに変化したのであろうが、真正の乞食であれば、精神的には絶望感で一杯だろうし、飢えが極めて強いだろうから、パフォーマンスなんかする気力などないはずだ。

だから毎日毎日、広い北京を徘徊して、能動的に金を集めることができる顔色の良い乞食は明らかにプロであり、偽物である。さらに、身なりが普通であったり、ハイテクな小道具を使っているような乞食であれば、確信犯と見て間違いないだろう。

一般的な乞食は飯にありつくための日銭を稼ぐことさえ困難であるが、このBBA乞食はいつもちゃんとした服を着ているし、そんなに薄汚れた感じもしない。さらに、このBBA乞食はヘッドセットを買う金や、毎日地下鉄に乗るための運賃はどう捻出しているのかという素朴な疑問が浮かぶわけだが、フェイクを見抜けぬ欧米の観光客などは、まんまと騙されてしまうようだ。
 
今や中国では、電子マネーが急速に発展し、日本の遥か先を行っている。その1つの実例が、乞食の集金方法の電子化だ。ここまで中国で電子化が進んだ背景には、未だに紙幣の偽造が多いことや、汚い紙幣を触りたくないという大衆が増えてきたことがあるそうだが、一番大きな要因としては、小売り側にとって電子マネーシステムの導入が極めて容易であったことにある。

日本で電子マネーを導入するとなると、専用の新型POSを新たに導入したり、決済端末やらリーダーやらモロモロの機器をリースしたり、さらには企業側にその設置費用も払わねばならず、小さな商店を営む個人事業主にとっては極めて非効率で敷居が高すぎるような塩梅になっている。

しかし、中国では通話可能なSIMを入れたスマホと、送金用の銀行口座、決済用のQRコードだけ用意すれば、すぐに電子決済を利用することが可能だ。つまり、日本のように企業と契約して、決済用の高額な機器を事前に購入したり、リース代や設置費用を支払う必要がない。この手軽さが爆発的に電子マネーを普及させ、社会の底辺をうろついていたエセ乞食さえも、電子マネーで集金するような事態になった。

何せ、胡同の不衛生な飲食店や、ゲリラ的な屋台式の物売り、乞食までもがキャッシュレスで集金できる状況だ。店舗側は、微信やアリペイのQRコードを印刷した紙をどこかに貼り付けておけば、客はそれをスマホで読み取って支払するだけであるから、慣れると現金での支払いがアホらしくなる。また、店内に現金を常時おいておくリスクや、釣銭の管理に割く時間が減るから、業務効率も上がるだろう。日本でも電子マネーを普及させようという動きがあるが、現在の導入システムを根本から変えない限りは、中国のように普及させるのは困難だろうと思う。
 

前门駅からは2号線で崇文门駅まで行き、5号線に乗り換えて、ホテルの最寄駅である灯市口駅で降りた。前门駅から30分くらいで到着した。
 

この日に泊まったホテルのある金魚胡同から金宝街にかけては、外資系の高級ホテルが林立している。ヒルトンファミリーの最上級ホテルであるウォルドルフ・アストリアや、リッツカールトン、ヒルトン、ペニンシュラなどがあり、ちょっと寂れたマンハッタンのミッドタウン、という感じの雰囲気だった。
 

のんびり歩いて帰ったから、ホテルに着くとすでに23時を過ぎていた。


歯磨きをしたあと、シャワーを浴びて寝ることにした。バスタブの近くには特に何もした覚えはないのに、「地球環境保護にありがとうございました」と怪しい日本語が書かれたカードがぶら下げられていた。

要するに、「タオルは交換が必要ならば床へ、再使用する場合はタオルハンガーへかけておいて下さい、これは環境保護につながります」という主旨の文言だった。最近の中国のホテルでは、こういうカードをぶら下げることが流行っているが、私は潔癖症ゆえにタオルは持参したものを使うようにしているから、あまり我々には関係のないことだった。

そういえば最近、中国国内で、某ホテルの客室清掃員が客が使ったタオルで汚れた便座や床を掃除している動画が流出した。これは氷山の一角ではないかと言われている。中国のホテルはたとえ五つ星であっても、四つ星であっても、油断できない。そんなわけで、シャワーを浴びて持参したタオルで体を拭いたあとは、さらに自前のタオルを枕に敷いて、眠りについた。
 

3日目


3日目は6:00に起きた。この日はまず、景山公園へ行くことに決めていた。その後、どこかで軽く朝食をとり、北京丽亭酒店をチェックアウトしたあと、開店と同時に銀行へ行き、口座開設をして、北京旅居华侨饭店をチェックアウトし、空港へ向かう予定を立てていた。北京丽亭酒店の近くに、米市大街という景山公園行きのバス停があることは事前に調べておいたのだが、念のため、ホテルの従業員にバス停の場所を確認しておくことにした。


従業員はアホなことに、「この近くにバス停はないから、景山公園にはタクシーで行くしかない」と言った。だいたい中国人に道を尋ねると、3~4割くらいの確率で間違った情報を与えられるものだが、このホテルの従業員も例にもれず、真実を語ることはなかった。

さて、外へ出るかと思い、こびとと出口へ向かって歩いていると、右から現れた従業員の男が急に英語で話しかけてきた。男は下手くそな英語かつ興奮した様子で、「日本人デスカ?」と言った。さらに、聞いてもいないのに、「ワタシハインドネシア人デス。日本ガスキデス。ニホンハオリンピックガアリマス」などと、我々の機嫌を取るかの如く、わけのわからぬことを言ってきた。私が男に日本へ行ったことがあるのかと聞くと、男は「イッタコトハアリマセン」と言った。

日本へ行ったことがないのに日本が好きだと言うのは、まことに奇妙な話だ。確かに男はフロントの女と同様、ヒロポンや危険ドラッグでも密かにやっていそうな異常なハイテンションで、気味が悪かった。もうこのホテルは2度目はないな、とまた心に誓った。男は一方的にしゃべり終わると、どこかへ行ってしまった。

バス停はすぐに見つかった。金魚胡同の交差点から东单北大街へ入り、少し歩くと、バス停が見えた。バス停の看板を見ると、685路が景山公園へ行くことがわかった。5分ほど待つと、バスがやってきた。日曜日の朝ゆえか、バスの車内はガラガラで、我々を含め、5人しか乗っていなかった。道も空いており、20分ほどで景山公園に到着した。
 

バス停から50mくらい歩くと、チケット売り場が見えた。人はほとんど歩いていなかった。時間はちょうど7時になる頃だった。
 

北京には日本のような小さい公園も点在しているが、領土が広大なため、凄まじく大きな公園がいくつもある。大きな公園の場合、65歳以上の老人や障碍者を除き、入園料を徴収しているところがほとんどだ。しかし、最近では無料の公園も増えている。景山公園ではまだ入園料を取っているようだった。


景山公園の入園料は一般が2元(約34円)、学生は1元(約17円)だった。開園時間は、春は6:00~21:00までで、夏場は22時まで開いているらしい。公園の広さは23万㎡で、今も元、明、清代の建築物が残されているそうだ。まだ朝7時にも関わらず、散歩している人が沢山いた。
 

園内には牡丹(ボタン)や芍薬(シャクヤク)など、様々な花が数万株植えられており、春には牡丹展、夏には蓮(ハス)展、秋には秋菊(シュウギク)展が催されているそうだ。この日も早朝から、熱心に牡丹をのつぼみをカメラに収めている人がチラホラいた。
 

とりあえず、故宮を見下ろすことができる万春亭の場所を探し、登ってみることにした。万春亭は地上から17.4mに位置するそうで、北京市中心部では最も眺めが良い場所だそうだ。
 

万春亭への登山口はすぐに見つかった。「あなたの安全のため、縁石には登らないで下さい」と記された看板があった。


万春亭は標高17.4mであるから、5,6階までの階段を上ってゆく感じだろうか。途中、洞窟のような休憩所が2つあったが、休むほど疲れなかった。
 

頂上に着いたら、当院ウェブサイトのトップページに使えそうな写真を撮るつもりだった。ちょっとスモッグで霞がかかったような故宮に、朝日が差し込んでいる幻想的な写真が撮れたら良いな、と想像していた。
 

万春亭の由来を書いた看板と石碑があった。


石碑の前では、地元民らしき人が体操をしていた。どうやら、鉄の柵を使って足を引っかけてストレッチするのが流行りらしかった。柵が足をひっかけるのに、ちょうど良い高さらしい。
 

すでに10人くらいの人が景色を眺めていた。眺めは中々良かった。故宮の真北に位置するため、故宮全体を見渡すことができた。この景色をウェブサイトに使えぬものかと考え、色んなアングルを試してみたが、結局良い写真は撮れなかった。写真を撮り終えると、70代くらいの地元民らしきジジイが、「天井の写真を撮っておけ」と言ってきた。
 

ジジイに言われたまま、一応写真を撮っておいたが、やはりこういう装飾は日本の江戸期の絵師の方が上手だな、と思った。曼荼羅なんかもそうだが、発祥の地であるチベットにしても、中国にしても、細かく見ると大雑把なところがあったりして、日本人の繊細さには敵わぬのかもしれない。
 

ジジイに「ここは北京でも中々良い眺めだ」と言うと、「そうだ、そうだ」とニコニコしながら同意した。その後、アイフォンで動画を撮っていると、突然、「回家~吧!(帰るよ~!)」という雄叫びが聞こえた。万春亭に点在していた数人のジジイは、みな仲間だったようで、仲良く団子になって階段を下りて行った。
 

さて、そろそろ我々も下りようか、と思ってこびとを探すと、こびとは階段にいた観光客らしきBBAにからまれていた。どうやら、BBAは様々なポーズをとりつつ、こびとに数種のアングルからの撮影を要求し、モデルの如き雰囲気で何枚も写真を撮らせていたようだった。中国人は本当に写真を撮られるのが好きだな、と思った。撮影が済んだあと、BBAと少し会話した。どうやら、親族が北京で会社を経営しているらしく、観光がてら会いに来たらしい。BBAの出身地を聞いてみたが、ちゃんと聞き取れなかった。
 

万春亭を下り、園内を当てもなく徘徊することにした。日曜日のためか、すでに沢山の人が徘徊していた。北京は東京と違って娯楽が少ない代わりに整備された大きな公園が沢山あるから、散歩の定番コースになっているようだ。中国の10~20代の若者は、いわゆる网吧(ネットカフェ)でネットゲームに狂っているケースが多いらしいが、中高年は未だ公園で囲碁をしたり、ダンスをしたり、歌を歌ったり、太極拳をしたりするのが一般的らしい。
 
 

しばらく歩くと、崇祯皇帝が自殺した場所を示す看板を見つけた。看板によると、1644年3月19日未明、李自成率いる40万人もの農民に攻められ園内に逃げ込んだ崇祯皇帝は、景山公園東側に位置するこの場所で、古いエンジュの枝に首を吊って自害したそうだ。
 

北京の大きな公園には常時清掃員がいる。園内には所々にゴミ箱が設置されており、快適に散策することができるようになっている。
 

若干痴呆がありそうな老人たちが、無表情で体操をしていた。老人たちの横では猫がじゃれ合っていた。 
 

老人たちがゾンビのように体操をしていたすぐ横の広場では、空竹龙(kongzhulong)で遊んでいるジジイがいた。空竹というのは紐(ひも)の付いた棒で独楽を操る、中国伝統の玩具だ。最近は3~20mくらいの長さのスチロール樹脂で作られた、龍の形をした独楽を回したり、飛ばすのが流行っているようだ。広場のベンチにはジジイが独りで座っていたが、空竹ジジイが独楽を上手くキャッチする度に、嬉しそうに笑っていた。平和な光景だな、と思った。
 
 

とりあえず、こびとが踊りたいと言っていたので、南門の広場で広場ダンスをしている中国人を探すことにした。
 

広場の左側には、特勤に写真を撮ってもらっているオッサンがいた。中国の警察組織は複雑で、民警、特警、武警、特勤など、様々な序列がある。特勤は警察カーストの最下位に位置する職種で、その多くは临时工(アルバイト)のような契約形態らしい。銃器は携帯しておらず、日本で言えば警備員みたいな存在に近いようだ。民警は人民警察の略で、主に内勤らしい。特警はアメリカで言うSWATで、特殊任務が主らしい。武警は、民警が武装したような職種で、主に歓楽街や官公庁付近でライフルなどを携帯して市民を威嚇している、いわば常時外勤の警官だ。何か事件があると武警が急行し、必要があれば特警が助太刀する、という具合らしい。景山公園内はかなり平和で、この特勤の兄ちゃんはヒマそうにウロウロ歩いていた。
 

広場の右側には、ダンスを始めたばかりのジジババが数人おり、こびとは早速、飛び入り参加した。指導者らしきBBAは慣れた感じで、音楽に合わせて軽快に踊っており、それを見て真似しながら、70代らしきジジイが踊っていた。


こびとが急に参加してきたため、ジジイは踊りつつも、こびとをチラ見していた。先頭にいたBBAは、ノリノリかつキレキレで踊りに夢中になっており、こびとの存在に全く気が付いていないようだった。
 

しばらくすると、爺さんがこびとに話しかけてきた。こびとは中国語をほとんど理解できていないはずだったが、爺さんは一方的かつ楽しそうにしゃべっていた。こびとが困った顔をしていたので、私がジジイに近寄って、「これが最近流行りの广场跳舞(広場ダンス)ですか?」と聞くと、ジジイは「そうだ。3ヶ月に1回10元の会費を払っている」と嬉しそうに言った。ジジイは中国人にしては珍しく、何故か日本製らしき白いマスクを着用していた。ジジイによると、毎週日曜日の朝8時にここに集まり、BBAの手本を真似ながら、健康のために体操をしているらしい。
 
数年前から中国全土で广场跳舞が流行っているとCCTVで観たが、北京人は昼夜問わず、所構わず、広場があれば常に踊っている感じだ。中国人は基本的におおらかだから、中国地方の某スポーツクラブのように、ダンス教室での立ち位置が決まっているということはないようだ。したがって、こびとのように通りすがりの旅人が飛び入り参加しても、「いけん!そこは私の立ち位置だけんな!よもよもしえたもんだ」などと罵声を浴びせられたり、陰口を叩かれる心配はない。同じ中国でも、エラい違いだった。
 

しばらく会話を楽しんだあと、ジジイに別れを告げ、公園を出て、バスに乗ることにした。どうやら南門が正門らしかった。


南門の目の前は故宮で、すぐそばにバス停があった。どうやら米市大街へ戻るには、128路のバスに乗れば良いらしかった。バス停には誰もいなかった。 
 
 

北京市内のバス停は、どこも数種の路線が乗り入れていることがほとんどだから、スムーズに乗れるように乗り場の地面には数字が書かれており、乗客の立ち位置が区分されている。バスはすぐにやってきた。
 

公交卡(交通カード)を持っていたから、乗り降りは至って楽だった。使い方はパスモやスイカと同じで、乗車時と降車時にカードをリーダーに読ませるだけで良い。日本と同じで、北京では交通カードを使うとバスは乗車料金が割引きになる。ちなみに北京のバスは、カードを使えば2元が1元になる。地下鉄はまだ割引はないようだが、何より券売機に並ぶ時間と小銭を出す手間を考えたら、交通カードはあった方が良い。稀に読み込み不良になる時があるが、その時は駅員を呼べば通してくれる。ちなみに公交卡は、北京では一卡通、上海では交通卡と呼ばれている。
 

シートはすべて独立しており、日本のバスのようなベンチ型のシートは無い。私は、ベンチ型のシートはクラッシュした時に身構え難く、危険度が増すから止めた方が良いと考えているが、中国のバス会社もそう考えているのかどうかはわからない。黄色いシートは優先席で、背面には「老、弱、病、残、孕」とだけ記されていた。つまり、「老人、こども、病人、障碍者、妊婦」は優先的に座ることができるシートだ。出口の上には「ペットを連れ込まないで下さい」と書かれていた。
 

再び米市大街に戻り、バスを降りたあとは、中国銀行へ向かうことにした。しかし、まだ8:30だったので、行列のできている店で包子を買うことにした。こびとが買ってみたいと言ったので、商品の読み方を教えてやった。
 

1.5元(約26円)のキノコ入り包子と、2.5元(約43円)の海老入り包子を1つずつ買った。北京市中心部では東京よりも値上がりしている不動産が沢山あるが、包子に関してはまだまだ安値だ。日本よりも食費が安く済むというのは、北京に来る醍醐味の1つである。なかなか美味い包子だった。
 

歩道で新聞が売られていた。小屋のような店は书报亭と呼ばれるが、こういうスタイルで新聞、雑誌を売る店も多い。とりあえず北京丽亭酒店に戻り、チェックアウトしてから銀行へ向かうことにした。 
 

ホテルを去り、中国銀行へ向かうため交差点を右折して金魚胡同を歩いていると、某高級ホテルの前で、薄汚れたジジイが自転車をキッと歩道に停めるのが見えた。ホテルのロビーでは、窓側のソファーに金持ちそうな地中海系の家族が腰かけており、窓越しに、ジジイが何か売りつけようとしているようだった。

どうやらジジイは帽子を売っているようだったが、御婦人は右手を上げて、笑顔で軽くあしらっていた。中国人はどこでも商売を始めるから恐ろしいな、と思った。


中国銀行はまだ営業していなかったので、店頭に座ってやり過ごすことにした。こびととコンビニで買ったヨーグルトを食べることにした。基本的に中国では、どこで何を食べていても文句は言われない。

結局、中国銀行はガードが固く、旅行者には口座開設させられない、と拒否された。試しに王府井駅前の中国銀行にも行ってみたが、同じことを言われた。中国の会社に勤めているか、長期ビザがなければダメだ、と言われた。仕方がないので、王府井にある中国工商銀行か、中国建設銀行へ行くことにした。あまり時間がなかったので、王府井駅に近い建設銀行へ行くことにした。建設銀行は日曜日でヒマなのか、行員らしき女が入口の前でスマホをいじっていた。 

入口を通ると、後ろから、さっきまで外にいた女行員が小走りで入って来て、「要件は何でしょう?」と聞いてきた。「旅行で滞在していますが、口座開設は可能ですか?」と私が聞くと、女行員は「没事儿,没事儿!(大丈夫ですよ!)」と言い、1枚の用紙を差し出して、急かすように私を奥へ行くよう促した。

門前払いを喰らわせた中国銀行とは真逆の対応だった。少しでも預貯金を増やして首位を狙いたい銀行にとっては、私のような旅行者であっても美味しいカモに見えるのだろう。この分だと工商銀行でも簡単に口座を開設できるかもしれない。

奥の窓口には、20代前半と思しき男性行員がヒマそうに座っていた。用紙には色々と記入しておかねばならなかったが、空欄のまま窓口に座っている行員に渡すと、頼んでもないのに自分のサイン欄以外はほとんど記入してくれた。

ちなみに、中国の銀行は日本と異なり、窓口には監獄の面会室にあるような透明のポリカーカーボネイド風の板が天井まで張られている。窓口に設置されたマイクと小さな小窓を使って、行員とやり取りするようになっている。きっと防犯のためであろうと思うが、日本の銀行がなぜこういうシステムにしないのかが謎だ。

行員に促されるままにパスポートを渡し、しばらく待っていると、自分の電話番号と泊まっているホテルの住所を聞かれた。その後は手元のモニターで記入事項に間違いがないかを確認したり、入出金の際に使う6桁の暗証番号を決めたりして、10分ほどで銀行カードを手渡された。日本の銀行で口座を開設した場合、後日自宅に銀行カードが送られてくるようになっているが、中国の銀行ではICチップが付いた空のカードがその場に用意してあって、客はその場でカードを受け取るという按配になっているらしい。とりあえず、ついでに窓口で手持ちの人民元をすべて貯金してもらった。

やっと用事が済んだ、さて帰るかと思って椅子から立ち上がろうとすると、行員は暴漢に襲われていた子羊を救った通りすがりの旅人に名前を請うかのような面持ちで、突然「请稍等!(ちょっとお待ちを!)」と叫んだ。何事かと思って再び椅子に腰掛けると、行員は隠し持っていた茶色の紙を1枚差出し、「この字の書き方を教えてくれ」と小声かつ恥ずかしそうに言った。便箋くらいの大きさの茶色の紙には、見慣れた日本語である平仮名とカタカナが五十音順に記されていた。しかし、よく見ると、「す」と「そ」の書き方が間違っていた。

仕方がないので紙に記された日本語を全て添削してやり、「す」の正しい書き方と、「そ」の2種類の書き方を教えてやった。すると行員はここぞとばかりに、今度は「ふ」の発音がわからないから教えてくれと言った。中国人は日常的に「fu」と「hu」の発音を使い分けているから、「ふ」がどちらの発音になるのかを理解し難いようだった。

そこで、心優しい私が窓口のマイクに向かって大きな声で、「あいうえおかきくけこ…」と発音してやると、行員は「ふ」の下に「hu」と書いた。私がマスクをしたままで発音したにも関わらず、fとhの発音を聞き分けることができるとは、耳の良い中国人だな、と感心した。慈愛に満ちた私は、頼まれてもいないのに、マイクに向かって大声で五十音を2回繰り返して発音した。

私が五十音を発音し終えると、行員は右手の親指を上に向け、少し引きつった顔で笑顔をつくりながら「谢谢(ありがとう)」と言った。私は人助けをしたもんだから、しばらく良い気分になった。きっと中国4大銀行の受付のマイクで五十音を大声で2回唱えたのは、後にも先にも私くらいなものだろう。きっとベンチに座って待っていたこびとは、この歴史的な光景を目の当たりにして、さぞや喜んでいるだろうと思い誇らしげに近寄ると、こびとは口を開けて居眠りしていた。とりあえず無事に口座を開設できたことは、府中の免許センターで苦労の末、バイクの大型免許を一発試験で取得した時と同じくらい嬉しかった。

ちなみに中国建設銀行は、2016年4月、中国共産党中央規律検査委員会によって、職務上の立場を利用して友人や家族に便宜を図るなど規律違反の疑いがあった行員が300人以上にのぼったとという件で、ニュースになっている。確かに、客に日本語を教えてもらうという行為も規律違反にあたるのかもしれない。きっと、あの行員は常にメモを隠し持っており、ヒマをみては業務中に日本語を勉強しつつ、いつかは日本へ行くことを夢想していたのであろう。まぁそうは言っても、親日であることに対して悪い感じはしない。 
 
とりあえず、予定通りに口座開設ができたので、北京旅居华侨饭店へ戻ることにした。工商銀行でも口座開設しておきたかったが、あまり時間がなかったので次回にすることにした。ホテルに戻る途中、雍和宫大街にあるホテル最寄のバス停で、経路の写真を撮っておいた。この辺りのバス停はあまり使わないが、何かの時に役立つかもしれない。
 

ホテル近くの胡同は、昼時で賑やかだった。バーナーで豚足を火あぶりにしているオッサンがいた。
ホテルをチェックアウトしたあと、すぐに东直门駅へ向かった。駅前にはmobikeが沢山置かれていた。mobikeは中国で大ヒットしたレンタル自転車の1つだが、最近、福岡県にも上陸したらしい。
 
 

东直门駅から空港線に乗る場合は、必ずこのE出口から入らなくてはならない。ここだけは上下ともエスカレーターが設置されているから、重いスーツケースを持っていても楽に地下へ下りることができる。
 
12:22の空港線に乗った。いつも飛行機が出発する3時間前には空港へ行くようにしているが、このぶんだと13時には空港に着きそうだった。北京の電車は人身事故や故障がほとんどないから、時間通りに動けてよろしい。
 
 
12:43くらいに空港に着いた。东直门駅からT3まではだいたい30分くらいかかる。
空港線降車場から空港までの通路では、たまに抜き打ちで保安検査をしている。警備員が怪しそうな奴をランダムに選んで荷物をチェックしているようだが、何故か地元民らしきジジイが警備員に絡んでいた。ジジイがトラブルを起こしていてくれたおかげで、ジジイの後ろを歩いていた人は、荷物をチェックされずに済んだ。
 

中国の空港で荷物を預ける場合、なるべくパッキングしておくのが賢明だ。何故なら、中身を抜かれたり、スーツケースのベルトを盗られたり、スーツケースを破壊されたりするからだ。特にチャック式のスーツケースは、細長い工具を差し込めば簡単に開け閉め可能であるから、非チャック式よりもリスクが高い。北京空港にも行李打抱というコーナーがあり、係員が有料でパッキングしてくれるようになっているが、とにかく価格設定が高すぎる。今回は試しに1つだけパッキングしてもらい、残りの荷物は日本から持参しておいたラッピングテープで巻くことにした。
 
 
土産用に買った茶葉は高級な割に粗末な箱入りで、スーツケースに入らなかったため、薄手のバッグに入れていた。しかし、このまま預けると潰される可能性があるため、气包膜(プチプチ)で巻いてもらうことにした。係員の男が中身は何だと言うから、私が「茶叶(茶葉だ)」と言うと、男は何故に茶葉なんぞを包むのか、というような訝(いぶか)し気な表情をした。气包膜は60cm10元であったが、バッグを包むには120cmは必要で20元、さらに气包膜を固定する捆绑带(PPバンド)は4m必要で40元、合計60元(約1020円)かかると言われた。

60元は日本円にすれば大した値段ではないが、そもそも北京の物価は日本の1/5くらいなもんだから、感覚的には5000円以上かかる感じだ。日本でもこんな梱包資材なんぞ500円もあれば購入できるから、これではボッタくりに近い感じだ。私が係員に「有点儿贵!(ちょっと高いなぁ!)」と呟くと、係員は確かに高すぎるけれど俺が決めた価格じゃないから勘弁してくれ、というような表情をした。とりあえず、100元札を1枚出して、男の係員に渡した。
 

男は慣れた手つきで荷物をくるむと、PPバンド用結束機(半自動梱包機)の上に載せて、十字に梱包した。なかなか丁寧な梱包だった。空港で使われていた中華製の气包膜(プチプチ)は、以外にもこれまで見た中では最高強度な感じだった。ちなみにPPバンド用結束機(半自動梱包機)は、新聞屋で奨学生として働いていた時に毎日使っており、あの頃の辛い思い出が蘇るから、あまり見たくない。
 
スーツケースは108円均一で買っておいたストレッチフィルムで、こびとと一緒にグルグル巻きにした。中程度の大きさのスーツケースなら2個は巻けるし、飛行機に乗せるくらいなら強度は十分だ。さすがにフィルムで覆われていれば、空港職員もわざわざ開けて犯行に及ぼうと思わないだろう。

だいたい多くの荷物を扱う空港においては、犯罪者はまわりの目を盗み手早く犯行に及ぼうとするだろうから、こりゃ面倒な荷物だなと思わせれば、スーツケースを開けられる可能性は減るだろう。また、フィルムはスーツケース表面の保護にもなるから、手荒く扱われたとしても、傷がつきにくくなってよろしい。
 
チェックイン開始は14時だった。JALだといつも30分くらい前に並べばちょうどいいくらいだ。チェックインはスムーズに終わった。
 
 
去年までコスタコーヒーがあった場所は、スターバックスに変わっていた。北京市内のスタバは看板に星巴克と書かれていることがほとんどだが、国際空港にあるためか、看板は英字になっていた。
 
保安検査と出国手続きを終え、ゲートを通過すると、すぐ左手にチャイナエアラインのファーストクラスラウンジが見えた。日系のファーストクラスラウンジだと、そう簡単には利用できないが、チャイナエアラインだとプライオリティパスを持っていれば利用できるらしい。プライオリティパスは毎年発行してもらっているが、実際には使ったことがないので、今度使ってみよう。
 

出発まで時間があったので、空港内を徘徊することにした。最近は北京でも熊モンが人気らしく、色んなバリエーションの商品が売られていた。
 

とりあえず、ケンタッキーで休憩することにした。中国のファストフードでは、何故かストローはセルフサービスになっている。マックでもケンタッキーでも、だいたいカウンターの左側に「吸管(xiguan)」と書かれたボックスがあり、そこから自分で取るようになっている。ボックスには「熱い飲み物には使わないでください」と書かれていたが、きっとホットコーヒーなどをストローで飲む中国人が少なからずいるのだろう。
 
店内には白人が沢山いた。やはり欧米人などは、こういうファストフード店に馴染みがあり、落ち着くのかもしれないな、と思った。カウンターには「子供を載せないでください」と書かれていた。コンセントがあったので、スマホを充電した。
 
 
ケンタッキーを食したあとは、搭乗口近くのベンチへ移動することにした。いつの間にか所々が改装されており、羽田空港に置いてあるのと似たようなベンチが置かれていた。
 

これまで、JALの搭乗口にあるエリアは閑散としていて、所々に販売機があるくらいだったが、いつの間にかコスタコーヒーやマッサージ店がオープンしていて、少し賑やかになっていた。まだこれから店が増えるらしい。マッサージチェアが15分28元(約480円)で、店員によるマッサージが30分168元(約2856円)だった。中国の物価でみればかなり割高だ。
 

ちなみに北京空港では、ミネラルウォーターが市内の2~4倍くらいの価格で売られているが、土産物屋で買うより、販売機で買う方が若干安い。基本的に土産物屋では、エビアンのような硬水ばかりが売られていて口に合わないから、販売機で買うようにしている。
 
帰りの便も787だった。どうやらここ最近の羽田ー北京間はずっと787らしい。飛行機は定時で出発した。 (終)
 


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