古書では、血色のみの判断によって百日以内に善事が起こるとか、七日以内に悪事が起こるなどという事を論じているが、この論は未だにその理屈を説明しきれていないゆえ、採用する事は出来ない。そもそも、人は天地と同体であり、気血は天地を運行する気に従って順行するものである。しかし、そうは言っても、天地には予測不能な変化がある。つまり、気候にはどうにも出来ない不順があり、人体の血色もその時々に従って変化するものである。そうであれば、どうして一時的な血色を観ただけで、何月何日には善事が起こるとか、悪事が起こるなどという事を、前もってはっきりと断言出来るのであろうか。出来るはずがない。私はこのような理由で長年この事に心力を尽くし、考えてきた。結果、血色で吉凶の日時を明らかにしようと思うならば、その血色に月割・日割を用いなければならない、という事を悟ったのである。もし、月割・日割を用いて血色を判断する時は、百回観て一度も的中しない、という事はない。今、この事を改めて踏まえてみると、古人がこの事を知らなかったとは考えられぬのである。つまり、物にはすべて体(たい)と用(よう)の二つがある。血色は吉凶を知る徴(しるし)であり、すなわち観相の体である。また、月割・日割は血色の意味を推し進めて明らかにするための用である。古人はその体を述べるだけで、その用を省略したのである。後人がこれを理解せず徒(いたずら)に、「血色だけで吉凶の日時を判断すべし」、としたのは大いなる誤りであった。私は多年の功力によって天地自然の理を極め、古人が未だかつて発表してこなかった教えを明らかにし、血色の観方に体用を備え、新たに月割・日割の図を製作する事が出来た。ともかくも、これが私が相法の世界において、古今無双の独立を果たした所以(ゆえん)である。
↑「月割の図」
一 正月、九月は図のように、小鼻の根元から耳たぶの端までを一文字に観通して、判断する。左は正月、右は九月。
一 二月、八月は図のように、内耳の突起の前から小鼻の少し上までを一文字に観通して、判断する。左は二月、右は八月。
一 三月、七月は図のように、駅馬の官から眼の下を通り、鼻までの間を観通して、判断する。左は三月、右は七月。
一 四月、六月は図のように、額の両角から眉の中ほどまでを一文字に観通して、判断する。左は四月、右は六月。
一 五月は図のように、天中から印堂までを一文字に観通して、判断する。
一 十月、十二月は図のように、小鼻の際から口角を通り、顎の端までを一文字に観通して、判断する。左は十二月、右は十月。
一 十一月は図のように、鼻の下から顎の端までを一文字に観通して、判断する。
一 もし、その月に該当する部位に潤いがあり美色に観える時は、良い月であると判断しなさい。逆に、潤いがなく淋しく観える時は、必ず悪い月であると判断しなさい。その月に該当する部位が良くも悪くも観えない時は、何事もない月であると判断しなさい。詳しい事については先に述べた八色を用いて、いかなる吉凶があるかを考え、判断しなさい。また、月割の部位に粟粒ほどの大きさの赤色が現れる時は、悪い月であると判断しなさい。必ずしも吹き出物とは限らない。しかし、その当時から二、三か月も先の部位に、以上の赤色が現れる時は、考慮してはならない。そうは言っても、その時々に応じ、その変化に応じて考え、判断しなさい。月割においては、傷、ホクロ、黒瘢(あざ)、癜風(でんぷう)の類は考慮してはならない。
*癜風(でんぷう)…癜(なまず)とか、黒癜(くろなまず)とも言う。デンプウ菌が皮膚に寄生して起こる皮膚病の一つで、淡い褐色の円形状の斑点が出るのが特徴である。白い斑点が出るものは白癜(しろなまず)と呼ぶ。
↑「日割の図」
一 美色であっても悪色であっても、月割の中に間を飛ばしたように現れる時は、その色の現れた部位が何日目にあたるかを考え、それにあたる日の吉凶を判断しなさい。美色が現れていれば吉日、悪色が現れていれば悪日である。また、良い月であっても悪日がある時は、その日にあたるところに、悪色が飛んでいるかのように点々と現れる。逆に、悪い月であっても吉日がある時は、その日にあたるところに、美色が飛んでいるかのように点々と現れるものである。以上の「美色が飛んでいるかのように」とは、例えるならば、木の葉に斑点が入っているかのように観えるものである。また、「悪色が飛んでいるかのように」とは、例えるならば、俗に言うそばかすのようではあるが、そばかすそのものというわけでもなく、ただ何となく、パッと観た時にそばかすのように観えるようなものである。あるいは、白胡麻の皮のように観える事もある。だが、その時々に臨み、その変化に応じて判断すべき時は、針の先で突いたような赤色や、今日ついた傷の類、その他、わずかな障りなどもすべて考慮に入れなさい。しかし、修行が足らないうちは考慮してはならない。修行の後は、臨機応変、如何様にでも考慮に入れ、判断しなさい。
↑「四季の図」
↑「当時方角の図」
↑「方角十二支の図」
↑「万法方角の図」
↑図A「親指の腹の大きさで丸く判断する。」
↑「方角穴所の図」
一 主人や目上の事は主骨の官において、東西南北の方角を取る。
一 親類の事は兄弟の官において、その方角を取る。
一 望み事は印堂の官において、その方角を取る。
一 恋人、妻の事は妻妾の官において、その方角を取る。
一 世間の事は顴骨の官において、その方角を取る。
一 子孫や目下の事は男女の官において、その方角を取る。
一 家業(=職業)の事は法令の官において、その方角を取る。
一 他国(≒遠方、旅行先)の事は辺地の官において、その方角を取る。
一 家の事は地閣の官において、その方角を取る。
一 家来(≒部下、使用人)の事は奴僕の官において、その方角を取る。
一 医者のいる方角については、病人の命宮の官を観て、その方角を取る。
一 金銭の事は福堂の官において、その方角を取る。
一 家督の事は食禄の官において、その方角を取る。
前述したように、美色が飛んだように現れた方角を良い方角と判断し、逆に、悪色が現れた方角を悪い方角と判断する。また、臨機応変に判断すべき時は、幽かな徴(しるし)であっても、その方角の吉凶の判断に用いる事がある。しかし、修行が足らぬうちは頻繁には用いず、ただ善悪の色のみを判断しなさい。この書における方角穴所の意味については、おおまかな事のみを記した。ゆえに、以上の穴所においては心を深くして、詳しく判断しなさい。いいかげんに判断する時は、必ず観間違える。前篇骨格の論を参考にして、詳細に判断しなさい。
古書においては、「面部一面(=顔一面)でその方角を判断する」としているが、それでは大雑把過ぎて、正確に判断し難い。例えば、親類が原因で東方から善事が来る、子孫が原因で東方から悪事が来る、妻(≒恋人)が原因で東方から善意が来る、家宅が原因で東方から善事が来る、などのように、同時に東方からの善事と悪事が重なって起こる場合などは、面部一面の方角だけでは、正確に判断し難い。ゆえに、前述のように詳しく記した。よくよく心を留め、学びなさい。
また古書においては、「面部だけで判断出来ぬ事はない」として、面部に百三十穴を選んでいる。この百三十穴は、万事の判断が出来るようになっている。私も若年から相法だけに心魂を凝らし、諸国遍参の折、東国において観相の達人に出逢い、以上の百三十部位による判断法をすべて教授して頂いたのだが、未だ中途で完全に理解出来ていない。ゆえに、門人の諸君は丹心を錬って(≒鍛え)、以上の百三十部位を用いて判断する方法を自得してもらいたい。
↑「正五九月の図」
↑「二八月の図」
↑「他身五臓の図」
↑図B
↑「五臓穴所の図」
一 他身五臓とは、例えば親を観て子の病気の吉凶を知る事である。また、五臓のうち、どの臓から病を生ずるか、どの臓が健やかで、どの臓が衰えているのか、についてのみを判断する伝法である。
一 家来の相を観て主人の病気を知る時は、その家来の主骨の官において、図のように五臓を配分し、その色の澱む部分を観て、どの臓に衰えがあるかを知る。その澱んだ色の吉凶によって、病気の善悪と死生を考え、判断しなさい。
一 親戚の相を観てその身内の病気を知る時は、その親戚の兄弟の官において、図のように五臓を配し、その色が澱む部位でどの臓に衰えがあるかを考え、その色の吉凶によって病気の善悪と死生を考え、判断しなさい。
一 夫の相を観て妻の病気を知る時は、その夫の妻妾の官において、図のように五臓を配し、その色が澱む部位でどの臓に衰えがあるかを考え、その色の吉凶によって病気の善悪と死生を考え、判断しなさい。
一 子の相を観て親の病気を知る時は、その子の日月の官において、図のように五臓を配し、その色が澱む部位でどの臓に衰えがあるかを考え、その色の吉凶によって病気の善悪と死生を考え、判断しなさい。
一 主人の相を観て家来の病気を知る時は、その主人の奴僕の官において、図のように五臓を配し、その色が澱む部位でどの臓に衰えがあるかを考え、その色の吉凶によって病気の善悪と死生を考え、判断しなさい。
一 妻の相を観て夫の病気を知る時は、その妻の官禄の宮(きゅう)において、図のように五臓を配し、その色が澱む部位でどの臓に衰えがあるかを考え、その色の吉凶によって病気の善悪と死生を考え、判断しなさい。
他身の五臓の衰え、病気の観方は、例えば自分の主人に病気がある時は、自分の主骨の血色が自ずと衰える、という事である。また、澱んだような色は、別に現れるものである。よって、その澱んだ色がどの臓に該当するのかを観定め、その臓を患う事を判断しなさい。以上の事はすべて、この理に準じており、他身(=他人)の病気や、五臓の衰えを知る事が出来る。図をよくよく照らし合わせて観なさい。
また、病人が快方に向かう前は、その穴所に自然と潤いを生ずるものである。逆に、死ぬ前は、その穴所の肉付きが枯れたように観え、その潤いを失う。しかし、他身の病気の事は、修行が足らぬうちは観定め難い。修行の後は、観易いものである。そうは言っても、親戚、夫婦、主従の類であっても、その病人に対して実(まこと、≒誠意)がある人は、その相がはっきりと現れるが、逆に、実がない人は、その相がはっきりと現れ難い事がある。
さらに、極めて老体(=高齢)の親が死ぬ時は、日月の官の肉付きが衰えはするものの、その潤いを失う事はない。(介護から解放されるゆえか、)自然と喜びの色が生じているものである。
また、親子、兄弟、夫婦であったとしても、長病で難渋した人が死ぬ時は、その穴所の肉付きが衰えはするものの、その潤いを失う事はない。(看護から解放されるゆえか、)自然と悦びの色が生じている。よって、この血色を観ても、迷ってはならない。ゆえに、人は親戚、他人の区別なく、実意(じつい、≒誠意)を尽くしたいものである。これはつまり、自分が不実(ふじつ、≒不誠実)である事を他人は知らぬ、と思い込んでいるわけであるが、天道(≒神)は幽暗(ゆうあん、=人が隠している部分)を照らし、自然と血色に現わすのである。これを恐れ、慎まずにいられようか。
兄弟の官においては図のように、眉の上下で、眉の生え際で判断する。だが、眉の真ん中は脾臓を配す。また、目の下を指で押し、骨がない部分を男女の官と定める。
↑「家宅の図」
家宅の穴所は、口の左右の角を基準にして判断する。口の左右の角から下へ一文字に観通し、その中に家造(やづくり、=家の構え)を定める。下唇の際を家の棟(むね、屋根の頂点)とし、左を家の表側、右を家の裏側とする。さらに、家造の外際を地面とする。頤(おとがい、=あご)の端面は家の横の地面、あるいは溝、廂間(ひあわい、ひあい、家と家の間の隙間)などと判断する。
一 奥間が明るい家に住む者は、図の家造の奥間と思われる部分が、自然と明るい。逆に、中の間が暗い家に住む者は、図の家造の中の間と思われる部分が、自然と暗い。また、引っ越す時は、図の家造の部分の肉付きが動くように観え、自然と暗い。さらに、水気が多い所に住む者は、その家が自然と水気を含んでいるため、図の家造の部分が自ずと暗い。
一 敷地内にある井戸の水が悪いか、新たに井戸を掘るか、庭に築山(つきやま)や池などがあるか、家に破損があったり、家内に病人がいるか、門前において災いがあるか、その災いが家内に及ぶか、家の子供が育たないか、陽気ない家か、陰気な家か、汚らしい家か、清く美しい家か、敷地内や家内に神仏の祠(ほこら)や龕(づし、ずし)などがあるか、敷地内に石碑の類があるか、水はけが悪いか、その他、家造や地面の部位における目立つ障りについても、以上の家宅の伝を用いて考え、観るならば、一つとして解らぬ事はない。しかし、これらの相は、その家の主(あるじ)以外には現れない。決して、妻子や下男、下女の輩には現れない。以上の家宅の相には少し口伝があるが、後学の者であっても、よく丹心を錬り琢磨の功を積むならば、自然とその奥義を悟るゆえ、口授には及ばぬであろう。その人を観て、その事に適する事を判断しなさい。
*龕(ずし)…神体や仏像を安置する箱。舎利や経典などを安置する厨子(ずし)に等しいものと思われる。
↑「流年一歳から二十歳までの図」
↑「流年二十一歳から四十二歳までの図」
↑「流年四十三歳から六十歳までの図」
↑「流年六十一歳から八十歳までの図」
↑「一歳から二十歳までの四季の図」
↑「二十一歳から四十二歳までの四季の図」
↑「四十三歳から六十歳までの四季の図」
↑「流年十二か月の図」
一 流年の穴所において、ほくろや傷があれば、それがある年が凶年であると判断する。また、大きなほくろや傷は、必ずしも考慮に入れるわけではない。だが、心にピンとくるものがあった時は、考慮に入れなさい。切り傷、突き傷は考慮に入れない。自然と生じているようで、幽かな傷を判断しなさい。また、疱瘡の痕は判断しない。総じて、ほくろや傷の類は、小さく目立つものを考慮に入れ、大きなものは考慮に入れない。流年の穴所に、幽かな筋(すじ)が鋭く斜めに横たわる時は、この年を凶年と判断しなさい。しかし、その筋が二、三歩(約6~9mm)もある時は、(筋が上下の年にまで及ぶため、)筋が該当する年を観定め難い。その場合は、その筋の中程を取り、その年を判断しなさい。また、流年においては、必ずしも紋や筋を考慮に入れるわけではないが、前述のような幽かで、鋭く目立ち、横斜する筋が現れた時は、速やかに判断するのである。流年の穴所において、ほくろや傷、その他の障りがない時は、何事もない年であると判断する。悪い事があっても、大した事ではない。また、流年の穴所にほくろや傷などの障りがなく、肉付きが健やかで満ちたように清く観える時は、その年は大いに良いと判断する。流年の穴所にほくろや傷などの障りがないにも関わらず、長年困窮している者がいるが、その場合は必ず流年の穴所が尽(ことごと)く枯れ衰え、肉付きが自然と淋しく観えるものである。この事を心得た上で、流年の吉凶を判断しなさい。
一 流年の穴所にあるほくろは、愁い、あるいは難があると判断する。また、傷は災い、あるいは失敗があると観る。流年の穴所の肉付きが枯れ衰えたように観える時は、その年内に大いに零落(おちぶ)れる。その他、少しの障りが観える時は、少しの災いがある年と判断しなさい。だが、愁い、災い、失敗、難、悦びなどについて、多くを語ってはならない。ただ、年の善悪についてのみを語りなさい。修行の後、詳しく語りなさい。流年については少しの口伝があるとは言っても、よくよく考えるならば、自然と自得出来るであろう。流年の穴所において、肉付きが変化するように観える時は、その年内に変化する事がある。住居が変わるか、家業が変わるか、あるいは己の容姿が変わるか、何れにしても、変化する事がある。
一 流年一ヶ年の内において、四季十二ヶ月(=一カ月ごと)の吉凶を論ずる時は、ほくろ、傷、その他障りがある部位を観定め、その障りが何歳の何月にあたるかを詳しく観て、その凶悪を判断しなさい。また、善事がある場合も同様に判断しなさい。もし、十二ヶ月(=一カ月ごと)の吉凶が観えぬ時は、四季の分割によって判断しなさい。しかし、男女ともに、太陰、太陽、少陰、少陽の人がおり、四季十二支の巡り方が異なる。太陽の人(≒男)は左から巡り始める。太陰の人(≒女)は右から巡り始める。他もこれに準じて、よくよく考え、用いなさい。修行が足らぬうちは、流年の四季十二支を多く判断してはならない。ただ、その年内の吉凶のみを語りなさい。そうすれば、流年においては、一つとして的中しない、という事はない。また、骨形(こっけい、≒骨格)において生涯悪い相があったとしても、生涯の流年が良い時は、その流年について語りなさい。流年は生涯の吉凶を司る。ゆえに、少年期に良い者は、少年期の流年が自ずと良い。また、老年期に悪い者は、老年期の流年が自ずと悪い。だが、仮に流年がすべて悪く、生涯困窮する相があったとしても忠孝、陰徳、節倹(せっけん、節約と倹約、=始末)、明理(みょうり、=冥利)の心がある者は、必ず天理(=天の道理)に協(かな)い、自ずと天の助けを受ける事が出来る。よって、忠孝、陰徳、節倹、明理の心がある者については流年が悪くとも、みだりに判断してはならない。また、心気(≒神気、雰囲気)が強い者は、流年に大難の相があったとしても、必ず小難となる。心気の強さは、父母、先祖の徳である。よって、流年が良い者は、元来、父母、先祖に徳があったと言える。しかし、流年が良くても、生涯困窮する者がいる。この人は必ずと言ってよいほど、忠孝、陰徳、節倹、明理というものを知らぬ(→良き神仏にも縁がない)。つまり、元から、父母、先祖の徳に感謝出来ぬ人である。ゆえに、この人は天理、相法に協わぬゆえ、論ずる価値さえない。このような者については、良い流年は大いに悪いと判断しなさい。そうすれば、万に一失もない。
生涯の流年がすべて悪く、生まれてからずっと、大いに困窮する相があったとしても、後に忠孝、陰徳、節倹、明理の心が起こり、父母、先祖の徳に感謝するようになったならば、必ずそれから三年以内には、悪い流年が尽(ことごと)く変化し、善(よ)い流年となる。これによって、私の忠孝、陰徳を勧めているわけではない。私は若年から相法に強く心が魅かれ、数万人の相を観てきたわけだが、それまでは忠孝、節倹、陰徳、明理の事を知らなかったため、悪い相が良い相に変じる事を信じられず、観相という業を止(や)めたいと思った事も何度かあった。だが、最近になってようやく、忠孝、節倹、陰徳、明理によって悪相が善相へと変ずる事を知った。ゆえに、ここにその事を記したのである。
仮に明哲(めいてつ)の相者がいて、三年後に大難が来る事を観破したとしても、その頃から観相を望んだ者に忠孝、明理の心が起こったならば、その相者は必ず齟齬(そご、=誤判断)した事になるであろう。また、善い相を観て善い生涯である、と判断したとしても、その頃から観相を望んだ者の心が変化し、徳義を失ったならば、その相者も必ず齟齬した事になるであろう。ゆえに、観相においては忠孝、節倹、陰徳、明理のある人については、善悪を判断し難いものである。だが、これらは無相(≒無双)の相者にとっては、まさに青天の雲行きを観て三日後の雨を観抜くに等しい。