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  • 17.心を知る相


意識(こころ)を知る相を論ず

・鼻が堅く観える者は、堅意地(かたいじ、=片意地)な心がある。
 

↑ギュッと閉じているのではなく、ゆったりと閉じている。


・無意識に手を差し出させた時、図のように親指を開かずに出す者は、必ず正直な心がある。
 
・鼻が和やかに観える者は、必ず素直な心がある。
 
・鼻が高い者は高慢であり(=気位が高い)、鼻が低い者は謙虚である(≒親しみやすい)。
 
・頭が後ろへ長い者は心が丈夫で、思慮深い。逆に、頭が後ろへ短い者は思慮が浅く、分別がない。
 
・耳が小さい者、口が小さい者は、共に心が小さい(≒小心者)。
 
・鼻が横に曲がる者は、人生に浮き沈みがある。侫(ねい)の心が深い(=心が「ねじけて」いる、偽善者)。
*原文では「倊イ深シ」と記されているが、正しくは「侫イ深シ」である。鼻は己自身、つまりは己の心そのものの表象であり、鼻が曲がっていると心にも曲がりがある、と観る。ゆえに、口先がうまく、邪(よこしま)な心を持つ侫奸(ねいかん)である、と判断するのである。
 
・害骨(=腮、えら)が高く張り出している者は、強情で、欲深い。
 
・黒眼が茶色い者は、強情で、欲深い。
*いわゆる「猿眼」である。
 
・準頭(せっとう、鼻先)が少しうつむく者は、出費する事を惜しむ(=守銭奴、ケチ)。
*人相術における標準的な鼻先は、正面から観た時、鼻の穴が観えるか観えないかくらいのものである。また、鼻はいわば金庫であり、鼻の穴は金銭の出入り口である。ゆえに、鼻先が垂れている者は、金銭の出入り口を塞(ふさ)いでいるに等しく、財布の「口」も堅い、と観る。逆に、鼻先が短く、正面から鼻の穴が開いて観える者は、金銭の出入りが激しい。いわば、宵越しの金を持たぬタイプである。
 
・両眉の間が特別に広い者は、生涯において、心に締りがない(=だらしがない)。両眼の間が特別に広い者も同様である。どちらも少し、愚である。
*眉間の標準的な広さは、自分の人差し指と中指2本分の幅である。眉間、眼間が広い者は、基本的には愚であると観るが、よく言えばおっとりした性格で、温厚かつ寛容、細かい事を気にしないタイプである。また、女性の眉間は、小人形法(人相術での一つの観方)においては股、陰部に該当するため、眉間が広い女性は常に股を開いているの表象であり、貞操観念に欠ける、と観る。しかし、常に、何よりも重要なのは眼であり、この場合においても、眼の相を加味した上で考察・判断しなければならない。
 
・眼球が定まらず頻繁に動く者は、情緒不安定で、迷いがある。
 
・瞳が大きな者は、その当時は心が定まっていない。必ず迷いがある。
 
・瞳が小さい者は、心に締りがあり、その当時は、家業は吉。
 
・男で女の姿に似た者は、心に器量(≒寛容さ)がない。大きく発展する事はない。
*長髪とか、女装しているとかではなく、女性に特有の相を備えている男性の事である。女性特有の相とは、『観面秘録』に記されている「陰小陽大」をベースにした観方の事である。つまり、女性は「陰大陽小(隠れている部分は大きく、露わな部分は小さい)」、男性は「陰小陽大(隠れている部分は小さく、露わな部分は大きい)」が自然に適っているゆえ、吉と観る観方である。例えば、女性は言動が控えめで、心身に適度な「丸み」があり、隠れている部分(胸・尻)が適度に大きいのが吉である。逆に男性は言動が溌剌としており、心身に適度な「四角さ」があり、隠れている部分(尻)が適度に小さいのが吉である。また、顔全体や眼、手などは陽(露わな部分)であり、女性はこれらが控えめで小さく、男性はこれらが溌剌として大きいのが良いのである。したがって、その姿に、以上のような女性の相を備える男性は、大きく発展する事がない、と言う。最近は、パッチリと大きい眼にあこがれる女子が多いが、眼が大きいのは本来は男性の相であるゆえ、凶である。特に、眼が大きすぎる女子は男子のような強烈な相を備える事になり、実社会つまりは仕事での発展は目覚ましいが、家庭に入ると男性と対峙しがちで、離婚を繰り返したり、後家となる。離婚を繰り返す相や後家の相はいくつもあるが、それらの相を多く備えるほど、凶となる確率が高まる。
 
・顴骨がないように観える者は、心に器量がない。また、人を使う事もない。生涯にわたって、発展しない。さらに、顴骨がないように観える上に、眼に愚相があるような者は、器量が全くない。世に言う、「埋もれ人(うずもれびと)」である。
*『南北相法』の中でも述べたが、江戸時代は男尊女卑の風潮が強かったため『相法早引』においても同様に、男性の相を中心に記されている。つまり、ここに記されている相はすべて、男性を観た場合の相である。ゆえに、女性を観た時は逆の意味になる事があるので、注意が必要である。先にも述べた通り、相の基本は「陰小陽大」であり、例えば、ここに記されている顴骨について言えば、顴骨の凸は、男性においては吉、女性おいては凶である。したがって、男性で顴骨が出ていない場合は、心に器量がない(≒軟弱な男である)、と言うのである。
*「埋もれ人」…現代的に解せば、不遇の傑士(=才能があるのに世に認められない人)である。しかし、ここでは真逆の意味で引用している。
 
・惣(そう)の人(=長、首長、頭)の器量の有無は、顴骨と眼を観て判断する。
 
・小鼻がないように観える者は、心に器量がない。人を使う事もなく、子供に縁が薄い。もし、子供がいたとしても役に立たない。
 
・短気だが柔和に観える者は、心が善悪に強い(≒情がある)。また、涙もろい。大体において、短気な者は心が善悪に強く(≒情があり)、人の面倒をみる事が多い。しかし、必ず怒りを爆発させる事がある。
 
・前歯の間が開いた者は根気が薄い。諸事において、飽きっぽい。だが、鼻が堅く観える者は考慮しない。
 

法令線が口に入る者は凶であると言うが、凶ではない。諸事において慎み、贅沢なものを口にせず、自ずと食を細くする。ゆえに、生涯、食に困る事はない。もし、食で贅沢をする者は、大いに困窮する。
*「法令線が口に入る」…古書においては、餓死の相とされる。南北翁は実地の経験から、異を唱えたのだと思われる。ちなみに、昭和期に名を馳せた多くの人相観はその著書において、餓死する相である、と記している。
 
・相者が目を大きく開けてジッと観た時、目を大きく開く者は、諸事・望み事が大きく、心が丈夫である。逆に、嫌がったように目を開きかねる者は、狭量(=心が狭い)で、物事に苦しむ。また、目は大きく開くものの、黒目が下に寄り付く者は、物事を人に明かさず、胸に包み隠す人である。