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南北相法現代語訳について

 
『南北相法』を読み進めるにあたっては、漢字つまりは中国語に関しての素養および、仏教、儒教、陰陽説、五行説、陰陽道などに関する知識をある程度備えていないと、原文をそのまま読んだだけでは、南北翁が言わんとした真意は理解出来ないと考えられます。この翻訳は2008~2010年頃にかけて、院長がコツコツと翻訳したものですが、当時はまだ院長の漢字(中国語)に対する素養が乏しかったため、至らぬ部分が少なからずあるかもしれません。院長の本分は鍼灸業ではありますが、何れ、ヒマをみて校正し直したいと考えています。それゆえ、このウェブサイト上の翻訳はあくまで参考程度で読み進めることをお勧め致します。 

*訳文中に出現する米印(*)で始まる文章は、翻訳時に加筆した注釈です。
*原文では骨格(=姿形)をみる事を「見相(けんそう)」、血色をみる事を「看相(かんそう)」、気色をみる事を「観相(かんそう)」、心気(≒神気、雰囲気)をみる事を「無相(むそう)」と定義しています。しかし、現代語訳においては、混乱を避けるため、すべて「観相」または「観る」で統一してあります。一部の文章においてはこの限りではありません。


はじめに

 『南北相法』とは江戸期最高の観相家、水野南北が残した、いわば人相術の聖典である。記録によれば水野南北は宝暦十年(1760年、宝暦七年説あり)に大坂に生まれ、天保五年(1834年)十一月十一日、大坂(名古屋、京都の説あり)の邸宅で七十五年(七十八歳説あり)の生涯を閉じたという。
 
 南北は若年の頃から喧嘩や窃盗に明け暮れるなど、多くの悪事を働いていたという。だが、牢屋に入った事(多くの罪人に共通の相があることを発見した)や、海常導師に出逢った事(人相術の手解きを受ける)などをきっかけに、人相術に目覚めるのである。
 
 南北はまた文盲であったため、巷の相書を読む事が出来ず、相法を体得するには「ただ思いを工夫するのみ」であったという。海常導師に数日の教えを受けた後は、独自に相法の研究に没頭するのだが、しばらくすると実地で観相を試みたくなり、諸国を歴遊することになる。
 
 しかし、生来醜い人相を備えていた南北はどこへ行っても先ずその容姿を疎まれ、自ら観相を願い出る者にめぐり逢う事は出来なかった。そのうち、とうとう所持金も底をつき、ついには一宿一飯の謝礼として観相を始める。幸いにも、このような生活を始めたのがきっかけで観相に磨きがかかり、十年ほど経った頃には、ようやく相法の道が開けるようになったという(髪結い、湯屋の三助、隠亡をそれぞれ三年ずつ勤め、人相術の研究に尽力したともいう)。
 
 そして、熱心に観相を続けた結果、三十路を過ぎた頃には門弟が千人を超え、観相家としてその名を広めるのである。『南北相法』序文には、「予、三十四歳にして看相を相止め、隠遁を楽しむ。」と記されている。
 
 『南北相法』についてはネット上で解説されているサイトも多く、現在でも数冊の翻訳本や注釈本など諸々の関連本が出版されている。しかし、その内容において、現状では満足出来るものが到底無く、私は何らかの形で『南北相法』を的確に訳し、世に広めたいと考えていた。また、現在流通している相術関連の本は、その大半が受け手を惑わせるような真実から程遠い内容のものが多く、これも私が『南北相法』の翻訳に踏み切る大きな要因となった。
 
 『南北相法』は当然ながら人相術の本である。したがって、人相を観る事が出来なければ、その真意を理解し、正確に翻訳することは不可能である。私は幸いにして、早い段階で多くの良書、師に出会う事が出来、ある程度人相というものを観る事が可能になった。さらに、翻訳に必要な資料も揃い、このホームページを作成する機会にも恵まれ、ここに『南北相法現代語訳』を公開する事が実現した。もちろん、私のような「愚才」で「不文」な人間に訳せるほど、『南北相法』が「軽い」内容の書物では無い事は重々承知している。だが、今翻訳しなければ、この機会を逸してしまうような気がし、恥を承知しながらも公開する事に決めたのである。
 
 『南北相法』は、南北翁が多くの尊い実践から得た内容を正確に記述したものであり、偽りの内容は一切存在しないと考えられる。この真偽については、書に記されている内容と、眼の前にある現実とを観比べてみれば、自ずと理解出来るはずである。また、『南北相法』の内容は今から300年ほど前の人々を観相した結果に基づいているのだが、現代でも十分活用出来る内容であると確信している。なぜなら、恋の事、男女の事、お金の事、仕事の事、家庭の事など、現代人が抱える悩みは、本質的には江戸期から変化していないからである。この事は、現代人の人相上に現れる徴(しるし)と、『南北相法』に記載された内容とを照らし合わせてみると、よく理解出来る。
 
 『南北相法現代語訳』が一人でも多くの方の人相術入門への手引きとなり、ひいては開運への一助となれば、翻訳者としてこれ以上の喜びはない。

 

 
*海常導師からは『神相全編』の要点を2、3日の間に聴き、その後は書物に頼ることはなく、実地で修業した。晩年は妻子を捨て、『亦生記』の翻訳に人生を捧げるが、相法に目覚めた頃の南北翁は字を読む事も書く事も出来なかった。
*善相とは福相や寿相、貴相などの吉相のこと(要「八相」参照)。
*水野南北の生年及び没年に関しては、実際よくわかっていない。『南北相法』に記載された情報から逆算すると生年は宝暦四年、『浪速人傑談』だと宝暦七年、『相法亦生記』だと宝暦十年となる。このあたりについてはまだまだ信頼出来る資料が足りないので、今後も検証して行きたいと思う。
*左右の腕に受刀傷を負っていたようである。また、右手の掌、左手の小指には苦行による火傷の痕があったとされる。
*『南北相法』には骨格の観方から気血色の観方までが詳しく書かれているが、食を慎むことが『南北相法』における最大の奥義である事は、あまり知られていない。したがって現代でも、食の慎みを実践している相者は少ない。南北翁は、その著書「相法修身録并附録」において、相者は、吉凶を辨(べん)ずる者に非(あら)ず、唯(ただ)身を修め、家を治(おさ)むる事を専(もっぱ)らとする。尚、家治め、余禄有り、而(しか)して後、衆人の身を修むる事を要(かなめ)とすべきなり。(中略)善相は吉に非ず。悪相亦(また)凶に非ず。唯(ただ)己(おの)れが(自分の)慎みの有無に隨(したが)って、生涯の吉凶を生ずるものなり。」と述べ、食を慎む事、足るを知る事が観相、ひいては開運においても最も重要である事を説いた。また、相者であらずとも開運において食の慎みがいかに重要であるかは、現代でも多くの成功者がこれを証明している。このあたりの事については「相法修身録現代語訳」を改めて参照されたい。
 

-東京つばめ鍼灸-
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